甘口ピーナッツ

多めの写真やTwitterに書ききれないことを書く

死者とフラスコと上位者の誤算~ワーフリ世界観考察~

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はじめに

 ゾンサガコラボも終わり、今はハロウィンイベントも終わり、1周年が近づいてきている。TAイベントも終局に近いが、みなさんいかがお過ごしだろうか。

 「ワーフリ世界において死とは何か」。ゾンサガ前に口にして雑にまとめて以来、なんとなあく論理を捏ねているうちに、ストーリーも第1部が完結してしまった。そしてそこで出た情報があまりにも大きすぎたので、昔の記事を再構成しつつ、今の解釈を語れるだけ語っておくことにした。ちょっとワーフリ世界、あまりにも大きすぎないか?

 本論で明確にしたい情報は3つ。

  • あの世界ひとつひとつはフラスコの中にある実験場に近く、我々の概念では仏教の死生観に近似したシステムがある
  • フラスコ内の構成要素は全てその中で完結しており、それは魂すらある種例外ではない
  • ステラたち、特にライトがそれらを決定的に歪めてしまった

辺りだ。上の内容を軸に、語っていきたい。ああ時間がもっと欲しい。

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死の扱いについて〜現代の宗教哲学おさらい〜

 科学が発展した現代、唯物論的視座に立つなら死ぬことは虚無だと捉えられている。魂も死後の世界も無いのだ、というのがその主意だ。一方で私は死ぬことに意味を見出すのが宗教の本質の一つだと考えているし、ワーフリ世界においても人存在として厭世観を示す世界はない。ファトマ教はじめ、みな希望にあふれている。彼らの軸はどこにあるのか。

 まずは現代の宗教観念に於ける死生観をまとめる。我々は死をどう扱うべきか。

キリスト教イスラム教・ゾロアスター教

 最後の審判と復活。全ての人は死んだら一旦墓に入り、信心深い者の霊魂は一旦天上の楽園に召し上げられ、一方非信仰者の霊魂は陰府に落され試される。最後の日、世界の終末に際して人々は復活し、善行を成した者は天国に向かい、悪行を成した者は地獄に落ちるという大意で上の三宗教は一致している。

彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。

創世記35-18

 幽体離脱、という概念がある。自分の存在を俯瞰したりちょっと天国を見てくる、という不思議な体験のことである。これはキリスト教的死生観に則った視座だ。魂があって死後上に登るとは、天上の国を信じるが故の描写だ

 死者の肉体は審判の日に使用することを前提としているので、死者の肉体を燃やしたり破壊することは冒涜とされている。故にゾンビという存在はキリスト教圏においてはより一層恐ろしい存在として成立する。仏教は容赦なく焼く。

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仏教

 輪廻転生。死んであの世に行った霊魂は、この世に別の姿を借りて生まれ変わる。何になるかは現世での功徳によって決定され、煩悩を払い悟りを獲得した状態となれれば解脱=輪廻の苦しみから解放される。

繰り返し行われる 生は、苦である。

パーリ仏典ー法句経ー11

 仏教は我、絶対不変の自分=霊魂の存在を認めていない。生物の魂は死んだ瞬間に他の生物の魂として生まれてくる。それはエネルギー保存則と似た構造になっており、一つ失えば一つ生まれ、それらは全てが釣り合いが取れていることを規定している。この点で「復活」を認めているキリスト教とは対照的だ。

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神道

 家の守り神。人は産霊神(ムスビノカミ)によって魂を入れてもらうことで現世に誕生し、死ぬと肉体から魂が抜けて祖霊(氏神・先祖神とも)となり、子孫を見守る存在となる。仏教は神の手によって輪廻転生を起こしているが、神道の場合は家を中心としている。

ハイファンタジー世界

 ファンタジー世界は基本的に原型とした土地の宗教観に依るが、「死者は教会で復活が可能だが灰になると難しい(ウィザードリィ)」、「死者の魂は迷宮に囚われる(ダンジョン飯)」というように、人為的な復活が可能となっている作品が多い。特に最近のゲームソフトなどではそれが大半であり、ロストなどの言葉に怯えることも少なくなった。

ささやき - いのり - えいしょう - ねんじろ!

Wizardry』シリーズ、カント寺院にて

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上記から見た“死”の捉え方の違い

 死の扱いとして、「復活」という要素が一ミリでも介在すればキリスト系、逆に復活を否定し、「死んでもまた生まれ変わる」「祖先の霊が」という要素があれば仏教・神道の考え方が深い。霊魂の存在を認めた上で死者の人為的復活まで手が伸びればファンタジー的だ、とまとめてよいだろう。これを軸にキャラクターごとのエピソードを見ていく。

 …なお、上の宗教観は一般的なものを扱ったにすぎない。キリスト教において土着信仰と結びついて輪廻思想を唱える宗派は存在するし、ブッダ自身は転生に否定的だったという学説もある。どちらかを否定するものではないので、こう、解釈違いからの宗教裁判とかは勘弁してください(命乞い)

“死”に関連するキャラ

 ダンジョンや戦乱が未だ身近に存在する世界観に於いて人々はそれを我々よりも身近に捉え、同じかそれ以上に忌み嫌っている。その中で人の死、その想いに触れて人と死者とを繋ぐ役割を持つキャラクターは何人かいる。まとめていく。

 Discord考察チャネルの方々、情報ありがとうございました。水着ミアにこんな情報があるとは思いもしなかった。人文智の集積って感じでいつも頼もしいし、どう読まれているかいつもドキドキしている。

闇星3[死者の守人]ファルチェ

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  • 遺品回収を生業にしている
  • 遺品から死者の想いを感じ取ることができる
  • 父親と母親にいつか会いたいと考えている
  • 父親と母親は揺らぎの迷宮から帰ってきていない

 めっっっっっちゃいい子ね!!!辛気臭そうな服装からの表情差分グラの良さよ!可愛い。それに比べて家族云々の重さよ。迷宮に潜る理由がキツすぎる。いつか出会って欲しいなあ?

 迷宮では普通に人は死ぬ。前述の通りオールドスタイルなダンジョン物だと「死者の魂は迷宮に囚われるので蘇生魔法が使える」という理由づけをしているもんだけど、そういうわけじゃないらしい。ルナやリアンのエピソードを見るに、蘇生術が確立されているかも怪しい。

 エピ2でシロの死生観というか、今アルクについて来ている理由のようなものが垣間見れて思わぬ致命傷を負った。シロ推し勢必見。

水星3[幻杯の導師]カイユ

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  • 「破戒僧」を自称している
  • ナムから始まる経文、「極楽浄土」というワード
  • 酒呑み系だらしないお姉さん

 現状唯一(多分)の「仏」「極楽」に言及した僧的キャラクター。ワの国特有の知識、ということで良いんだろうか。

 霊は導かれることで極楽≒死後の世界に向かう。未練や心残りなどがあると現世に残ってしまう。この辺りはこっちの霊世界観と近いし、他のキャラの霊体観とも一致している。

 ところで調べると「戒融」という名前の僧が実在するんですが、あなたもマリーナさんと同じくこっちの世界からの漂流者とかじゃないですよね…?

闇星4[猫耳しっぽの守人]ファルチェ

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  • 遺品回収は人々から気味悪がられる職業だ
  • 遺品の声は聞こえてくるが、返事はできない
  • コリーナカワイイ
  • 本人曰く、聞こえるのは「死んだ人の想いの残り香」、「最期の言葉」
  • ハロイベ前日譚だねこれ!

 ファルチェを人々が嫌うのは、冒険者曰く「縁起を担ぐ」かららしい。我々で言う「黒猫が前を通ると」的なものだろうか。なかなか人相手にできるものかと思ったが、日本では奈良時代からの穢多非人、それこそ埋葬や処刑、墓守を一部の人に排他的に従事させて隔離する思想が存在したし、案外あり得るのだろう。

 現世では「生死に介在する」点で仏教信仰の生殺を禁ずる思想と相入れなかったが故の差別だったが、ファルチェの場合は「人の死を見る」更には「彼らの声を聞く」訳だから恐ろしいには違いない。一方でそれは人の集団意識が産んだバケモノであり、イメージ戦略に出たステラは正しい。

 余談だが、彼女が海イベントで着せ替えられる側、変えられる側に終始していたのが今回誰かを着せ替えて誰かを変える側に立ったのがたまらなく愛おしい。我々に変化と正義を示す、彼女は正しく主人公である。

 なお私はキャラエピ2と3で心的外傷を負った。シロさんが精神的支柱になるかと思いきや、おお、もう(滂沱)

闇星4[幼き死霊術師]ルナ

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  • 死者のみが友人になれると誤認している
  • 「死霊術師」という職業が認知されているが、評価は低い

 神官「万物を照らす光よ。不浄不明を解く理の剣よ。去るべき者に正しき道を示せ!」「死霊術師よ、その者たちの苦しみの声が聞こえないのか?」「偽りと邪法の行く末に救いなどありはしない」などなど。散々な言いようである。シャドウバース世界でのルナのありようが気になるところだ。

 光は死者を導く存在で、死霊を操るのは邪法。これだと死者の復活やアンデッドなどは認められそうにない。生と死の間には大きな壁があるというか、設けようとしている感じがする。ここはパルぺブラ宗教学が必要なので深入りはしない。オルヴェール何か語って!お願い!

 エピ2でま~たシロの死生観を叩きつけられて死んだ。勘弁してくれえ!

闇星4[棺使いの霊能士]アンディ

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  • アンデッド。
  • 死霊を封じ、使役(説得の上?)する能力を持つ
  • 過去に生贄に捧げられ、その復讐を果たそうとしていた
  • 背景の幽霊屋敷、このために書き下ろされたんですかねえ…?

 出ちゃったよアンデッド。棺を担いでいつも何かを探している。漫画タイムきららにそういう連載作品があったなあ。あれも面白かった。

 「僕みたいなのは他にもいる?」と訊くくらいには、かなり例外的な存在らしい。死んだはずの人が現世の人に残り目的を果たす様子は、和の国の妖怪の有り様に比較的近いか。あちらも未練があって人の霊魂が妖怪となって立ち現れる。どこの世界も死者システムは共通なのだろうか。

 アニタ、ヨハン、エミール。貴重なネームドモブ(死者)だ、覚えておこう。

闇星4[深淵の探求者]リアン

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  • 本名「リアン・イルド」
  • 魔術協会は闇魔法を恐れている
  • 魔導の深淵を知りたい、神秘を拓きたいと思っている
  • 迷宮の魔術師と邂逅している

詠唱一覧。バリエーションが多いなあ。

  • 詠唱「万物に潜む闇よ。深淵を隠す神秘のまぶたよ。開き、ささやけ。真実を!」→小竜が召喚される
  • 詠唱「万物に潜む闇よ。手放し、そして与えよ」→不発
  • 詠唱「万物に潜む闇よ。やがて我らが還る混沌の渦よ。逆巻き、捻じれ。光の理を」→生命の法則をねじ曲げる。病や死の克服につながる
  • 詠唱(魔術師)「万物に潜む闇よ。白日を恐れる秘した宮よ。その驕れる内を我に示せ」→死者の思念を相手に聞かせる

 闇はやはり、死者とこの世を繋いでしまえる魔法体系なんですねえ。闇の中に魂があり、それを入れたり戻したりできるのが闇魔法の業の一つ、なのか。素人目に見ても外法中の外法だけど、なんでまたリアンくんはそんなものを追い求めているのかしら。単純な知識欲からなのか、それとも何かあるのか。いつか語られる日は来るのか。

 逆巻き捻じれってあの、その、8章で重要な役割を果たしたあれと関係あったりします?もしかして疑似的にあれを再現してたりします?

火星5[夏に燃えるお宝虎娘]ミア

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  • 幽霊船は存在する
  • ライトは昔、幽霊を斬れた
  • 幽霊とは、人の強い気持ちの現れで、“亡くなった人の忘れ物”。本人とは違う

 水着ガチャの看板を勤めたミアちゃん、元気溌剌な彼女を描いた絵は今日もSNS上にバンバン挙げられている。たすかる。ハロディアといい夏ミアといい、ワーフリ運営は大分“覚悟”がキマってる人が多いな?いいぞもっとやってくれ(ケモスキーメカスキー並感)

 上はそのキャラエピ3から引用した。ラストの夕焼けと相まって実にしんみりさせてくれるエピソードだった。幽霊はその人の強い意思だけが遺った忘れ物、と言う情報は興味深い。死ぬ間際の思念だけが現世に焼き付いたと言う解釈で良いだろうか。

 余談だが、幽霊船と言うと私は「マリーセレスト号」を思い出す。19世期末に無人で発見された船舶とその顛末についての話だ。神秘がほとんど失われた近代において、最後に我々を狂喜させた事件だったと思う。もう少し早く起きればここまで大きく世界には伝わらず、遅く起きれば近代科学によって冷静に分析されていただろう。

雷星4[笑う科学者]ルナール

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  • 海に浮かぶ人工島「フロート」に研究所を構えていた。
  • エネルギーと生物学に興味がある
  • 人魚は「リキッドゲノム」を大事にしている
  • 助手は実験をさせたまま何処かに失踪している
  • 陸政府に追われている
  • 陸政府は新しい研究成果を認めない
  • 海蛸キャンディーが好物
  • 不変のはずの物理法則=理が変わりつつある
  • エレメントの振る舞いがおかしい
  • 曰く「フラスコの中では世界は確実に変わっている」
  • シロの「アルクたちは俺の世界を壊してくれた」という発言に対して「私の仮説と一致している」「これからどうなるか楽しみだ」と返答している

 にへら顔が特徴的な狐系長耳ズボラ獣人科学者。麻痺とスキブでいつもお世話になってます。海世界に研究所を持っているということで、星詠み集団との関連も疑われている。個人的にはアダラのように何かを手にするというよりは解析する行為自体に意義を見出しているから、別なような気がしている。

 世界の構成元素であるエレメントの振る舞いがおかしくなっているという。今はまだ視認できるほどではないが、何かが起きようとしているのを彼女は観測している。何が引き起こしているのか、その先に何があるのか。なぜ彼女は笑うのか。

 エピ2でアルクに密輸させてた代物は海蛸キャンディーだった、という拍子抜けなオチが描写されていた。本命は別にあるだろうと思うが、海の蛸という概念とシレーヌとディーネのキャラエピを重ねるとまた別の解釈が立つ。が、今回は割愛する。北の海の底には何が眠ってるんだろうねえ。いつかイベントで回収してくれよな!

 エピ3、マジで、その、第1部を終える前と後とで読み方が完全にひっくり返る系のやつ、頭破裂しちゃうんでやめてくれませんかね?(褒め言葉)

雷星4[黄昏時の笑う科学者]ルナール

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  • ゴーストは「生命」と「エネルギー」両方を兼ね備える
  • 人の感情は磁場のようにゴーストを引き寄せる
  • ゴーストは人の残留思念だ。それは現象であり、“魂”は無い
  • 逆に言うなら“魂”とは「残留思念には存在せず」「ゴーストが持たないもの」、つまり「変化の中で己を選び取ること」=『自由意志』だ

 観測された数が有意に多ければそこには何かがあるとしなきゃならない、いやあ金言だ。素のルナール然り、科学者として大事な姿勢が見え隠れしてとても良い。

 ゴースト=霊体を宗教的なものとせず「現象」と断じたのは大きい。後述のミアのエピソードやハロウィンイベントからして、その場に人の生命が産んだ感情が、エネルギーとして焼き付いたものと見て良さそうだ。ディアが魂をバグに似たものと表現していたのも興味深い。人の残滓が魂だ。

 逆にゴーストがエネルギーの作用が産んだ現象であれば、それを解析して中和してしまえば消える、というのは理にかなっている。霊体が何かしらに作用するのであれば質量保存の法則からは逃げられないが、その辺りはどう都合つけているのだろうか。フラスコの中はどうなっているのだろうか。

キャラエピより

 上の情報をまとめつつ、死者と魂の扱いをまとめていく。

ルナールが教えてくれること

 彼女はあの世界を「フラスコの中だ」と形容している。もしそうならフラスコという器具の性質上「質量やエネルギーは一定」であるはずだ。外から人為的に要素を足さない限り、ガラス玉の中は一定に保たれる。そしてルナールが人の残留思念を「現象」と呼ぶなら人の情念もその例外ではなくなり、「人の心も観測できるものだ」「情念もフラスコの中の循環に組み込まれている」と言えてしまう。

 脱線するが、これはどうにも現代で言う実存主義、もっと言えばレヴィ=ストロースらが提唱する構造主義構造主義 - Wikipediaに似ている論理だ。「人の思考に生与的なものはなく全て外部との関係性によって成立するものだから、感情などは全て観測し体系化可能だ」と言うこの論理は現代において様々な場面に応用され、レヴィ氏は数学の群論によって婚姻を構造化した。ルナールも実験と分析を繰り返した結果、このような「全ては構造化可能だ」と言う結論に至ったのだろう。それは人の世の無為さにも繋がるが、彼女の探究はまだ続くに違いない。

パルぺブラの死生観

 なので死生観は現代で言う仏教的「輪廻転生」に近いと考えて良さそうだ。人の霊魂は天国などに迎えられたりせず、別の要素として循環するエネルギーである。ただしルナールが思念すら他のエネルギーと同価値に見ている辺り、来世も人に生まれるようになどの思想ではなさそうだ。カイユの極楽云々はなんなんだろうね…たぶんドリフターだから気にしなくて良いんだと思うよ……(思考放棄)

 パルぺブラでは墓がある辺り死者を弔う思想はあるようだが、一方で死が色濃いファルチェのような仕事は忌み嫌われている。そもそも揺らぎの中では死体が残るかも微妙な気がするし、より一層死の恐ろしさが増幅されているのではないかと推察している。だからこそ人は好奇心から迷宮に潜るし、レオンのような生還者を畏敬の念で見つめるし、フィラメリアのような先導者を敬愛する

 また、ファトマ教の死に対する教義として、リアンやルナのキャラエピから分かる通り死者の復活を人為的に行うことは禁じられているようだ。誰もが望む奇跡であるが、死のルールを乱すことはファトマ教としては容認できないらしい。うーん、光と共にあらんことを(隠語)。

ここから8章ストーリーの情報を含む

 この辺りまで考えてよーしまとめるぞとなった辺りで、8章が来た。頭がおかしくなるかと思ったし、今もまとまりきらない。あまりにも大きすぎたので、考察に使いたい情報を引用ではなくそのままつまんでいく。本当は丁寧にやりたいところだが、そうも言ってられない。ここから先はネタバレ全開乱文上等で行く。

ルナールの推察の正しさ

 ノヴァの発言に「存在質量が臨界点を超えた」とある。これは正しく「フラスコの中がいっぱいになった」と言うことである。フラスコ間のやりとりは厳格にするべきところを、それが度を越してしまったのが一因だろう。彼女がアルクたちについていくと決めた理由は「行く末を見たい」と言った趣旨だったはずだ。彼女は情念や闘争を抜きにして、現象のみ見据えていながらこれを予見していたのだろう。凄まじい見識だ、本当に星詠みじゃあないんだよね?ね?

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リアンの異常さ

 私は今、ルナールと並んで危険視すべき存在がいると感じている。リアンだ。彼は私が見たキャラエピの中で唯一「生命の操作=死者蘇生」を部分的にしろ成しえた唯一の存在である。エピ2においてリアンは、アルクの言葉を借りるなら「草を枯らして、花を咲かせた」という行為を行っている。生命をエネルギーと捉える先述の考察を援用するなら「生命エネルギーの移動」を行う術式と言えるだろう。エネルギーの総量は変わらないにしろ、死の克服にも繋がるかなり禁忌な術だ。加えて言うなら詠唱自体も非常に興味深い。

  • 「万物に潜む闇よ。やがて我らが還る混沌の渦よ。逆巻き、捻じれ。光の理を」ーリアン、キャラエピ2

  • 逆巻き、ほどけ。星の逆槍よ。我らが呪いを、願いに戻すために」ーエデュケウス、8章12-2

 詠唱自体が、星の逆槍の詠唱と似通っているのだ。リアンはねじることで光=生命自体を捻じ曲げ、エデュケウスはほどくことでオーグの闇を光に還している。考え過ぎだろうか、それともここにも何か根底に通じる何かがあるのだろうか。少なくともファトマ教が反魂を禁じているならそれはすなわち上位者にとって都合の悪い活動である証左であり、社会秩序、ひいてはフラスコ自体を揺るがしかねない技術だ。リアンもルナールと同じく核心に近いところまで到達した存在に違いないと私は考えている。ルナールと同じく、彼もまた上位者の誤算の一つだ。何なら無意識に地雷を踏みぬきかねないからより恐ろしいまである。独学で創造主のルールを壊すんじゃないよ。

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オーグと勇者の原動力

 彼は死者の未練をその身に繋ぎとめ、彼らの現世への恨みや呪いを力としていた。魂が現世に焼き付くのは本来はあり得ない現象だ。それは人の思念がなし得る偉業であり、システムに於いてはディアの言う通りバグである。今代の魔王や勇者が尋常ではない力を発揮したのも、無関係ではあるまい。

 加えて言うと、勇者ライトがあれほどの力を発揮したのはなぜだろうか。直前の流れを鑑みると私は、ルナールが説いた「変化の中で己を選び取ること」=『自由意志』をエネルギーに変換して見せたのではないかと考えている。彼女は魂の存在を残留思念と切り離しエネルギー体系の外に置いたが、彼の技はフラスコの中身を繋いできたアルクたちの旅路の終局に相応しい上位者の想定外の一撃、まさに魂の燃焼だったのではないか。もし合っていたなら恐ろしいことだ、何しろ無から有を作ったようなものであり、文字通り臨界を超えている

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決定的な異和と上位者の誤算

 もう少し推論を重ねるなら、死んだはずなのに死んでいない状態になった存在、システム上あり得ない状態が構成されたのはいつか。その存在は誰か。他でもない勇者ライトだ。彼は魔王オーグに勇者の力を封じられ殺される直前、正体不明の光に拐われ、50年後に飛ばされている。「勇者の力の封印」「存在の時空転移」どちらもシステムにとっては深刻な異常だ。

 50年前といえば現状で私が把握している出来事は2つ。破槍によるエクセリオ崩壊と、パルぺブラへの揺らぎの迷宮の出現だ。前者は上位者への明確な反逆、後者はフラスコ内の質量維持の崩壊を意味する。勇者ライトの存在は徹頭徹尾上位者の想定の範囲外だったのではないか。途中までは彼らの想定内だったが、イグニスセイバーがあまりに慮外すぎた結果、8章ラストの展開に繋がったのではないか。

 何となくだが、2章世界の砂や、3章世界の水は、元は別の何かが置換されたか、或いは大規模な消失の埋め合わせに発生したか、の二択なんじゃないかと感じている。星砕きの巨神、北の海の怪物と、どちらにも慮外の存在が仄めかされており、彼らは砂や水によって覆い隠されている。上位者たちがフラスコの中を維持しようとして緊急的な措置を取った末路があれらの世界なのではないか。ノヴァが「監獄」と呼んだあの世界に、一体何が起きたのか。

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終わりに

 うーん推論が推論を呼んでいる気がするが、一方で自分の中では深い納得が得られている。一つ二つはミスがあるだろう、もう少し練りたい。リリス姫の件然り、死者のエネルギーというものはまだ底があるに違いないのだ。

考察という行為に対する私のスタンス〜偶然と必然の違い〜

 余談。ワールドフリッパーというゲーム考察記事を書き始めてからそれなりに経つ。完全に楽しくて書き連ねているが、それでも自分の主張を人様に読ませる立場としてどうしても気をつけたいと思っていることを書く。

 私が愛読する「機動警察パトレイバー」(著:ゆうきまさみ)という漫画に、こんな台詞がある。

「おれは偶然も2つまでは許すことにしてるんだ。しかし3つも重なったらこいつは偶然とは思えん。何らかの必然があるんだ。

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 考察とは、当てずっぽうと表裏一体だ。思考は根拠の薄い「こうだったらな」という思想に得手してなりがちだし、正直ここまでの私の諸々もその範疇に入るものが大半かもしれない。それもまた大事な人の業だが、それは真実から離れているかもしれない。そんな中で私は、確実な根拠を大切にしたいと感じている。それも1つ2つの点々ではなく、濃密な、面となるような論理だ。

 砂塵考察の時も語ったかもしれないが、キャラエピを読むときに私は時折、円と円とが重なるような奇妙な感覚に襲われることがある。発言や描写の一致、思想や目的の近似、形は様々だが、つなぎ合わせると穴が奇妙に空いた大きな地図になるような感覚を得ている。その穴には「巨神」だとか「上位者」などのキーワードが書いてあり、たまにストーリーなどで開示されては我々の心をくすぐってくる。8章などまさにそれだ、あの急展開は呆気に取られた。

 ワーフリに限らず考察とは、その穴の位置を可能な限り明確にし、浮き彫りにする作業だと感じている。多くのゲームは勢いや情動を優先してこの地図に“遊び”の部分を設けているが、このゲームはそういった部分が限りなく少ないんじゃないかと、この一年を通して思いを強くしている。信頼出来る。

終わり。ワーフリ1周年おめでとう!

 まだ書けていない、あるいはまとまりきらない思考は多くあるが、とりあえずひと段落としたい。ともあれワールドフリッパー、1周年おめでとうございます。これからも味わい深いキャラクター群とストーリー、ゲーム体験をよろしくお願いします。早く設定資料集出してくれ。

 終わり。感想、意見、反論、批判、@jimmy_9609 までお願いします。また他にも色々考察しているので、時間があったら他の記事も読んでみてください。それでは。

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