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結局「科拳」は実在したのか? 中公新書から見る科挙感想文

はじめに

書いた動機

この記事は中公新書民明書房と、ご覧のスポンサーの提供でお送りします

詳しい動機

去る1月14日に行われた2023年度大学入学共通テスト、これの「世界史B」に問題訂正があった。誤りは2カ所、そのうち片方が、中国において過去に実施されていた官吏登用試験「科挙」を「科拳」と誤字をした、という内容である。受験生を中心に多くの人々が驚いたことだろう、私もそのうちの一人である。

科学の拳、二つ目の科挙、そんなものは寡聞にして知らない。書き文字ならこんな初歩的なミスは中学校の小テストで卒業するべきだろうし、そもそもどうやって予測変換で出したのか画像認識で取り込んだのか、などの疑問がインターネットを渦巻いていた。本当のことは何かと手繰っていると、奇妙な情報が流れてくることに気付いた。

 ―――科拳、実は存在するらしい―――

そんな胡乱な話があるわけがない、また悪いインターネットがまろび出ているぞ、何が科拳のエースだと思っていたが、どうにもおかしい。民明書房以外の出典を持ち出す人がいるではないか。しかも複数人。一体何が起きているんだ、もう既に術中なのか?などと考えていたこの辺りで、はたと気付く。思えば私自身も「科挙」について何も知らない、知らないことについては語ることはできないんじゃないか……?

そんな我らがヴィトゲンシュタインの導きに従って、いくつかの書籍を買い、読み漁った。その結果、色々なことを学ぶことが出来たので、なるほどなあと思った部分について本文の引用と共にまとめていく。内容としては大きく分けて二つ、

  • 科挙」というものについて
  • 「科拳」というものについて
  • 「漢字」という概念について

である。結論から言えば、科拳は無かったとは言い切れない気がしている。対戦よろしくお願いします。

科挙 中国の試験地獄』 (中公新書) 宮崎市定

科挙 中国の試験地獄 (中公新書)

かつて中国では、官吏登用のことを選挙といい、その試験科目による選挙を「科挙」と呼んだ。官吏登用を夢みて、全国各地から秀才たちが続々と大試験場に集まってきた。浪人を続けている老人も少なくない。なかには、七十余万字にもおよぶ四書五経の注釈を筆写したカンニング襦袢をひそかに着こんだ者もいる。完備しきった制度の裏の悲しみと喜びを描きながら、試験地獄を生み出す社会の本質を、科挙制度研究の権威が解き明かす。

最強の科挙

たいへん面白かった。いやもう比較的不純寄りの動機で読み始めてしまったが、学びの多い名著だった。買う時に「タイトルに試験地獄がどうのとあるから一般な受験批判が繰り広げられているだろうか」とビビッていたが前書きの時点で、

 私はふと立ち止まったのである。私の任務は過去の事実の中から最も大切だと思われる部分を抜き出して、できるだけ客観的に世間に紹介するにある。事実こそ何物にもまして説得力があるものである。なまじいにそれを主観をまじえて調理する、いわゆる評論家風な態度は私の一番不得手なところである。と同時に、また、それによって別にプラスを加えることにもならないであろうと思う。

 そこで、私はできるだけ冷静に、出来るだけ公平な立場から、科挙の制度とその実際とを描写しようとつとめた。こうして出来上がったのが本書である。

とあったので、大変安心したのを覚えている。襟を正す思いである。物事を客観的に語った文章は大変健康に良い。この文章に違わず、時代ごとの科挙という制度の建付けと実態とを歴史書伝記説話その他から多角的に検証するものであった。あとがき的に作者の持論が書かれている章段もあったが、そこまでの綿密な歴史的経緯を踏まえた大変納得のいく論理に仕上がっていた。

……というか奥付を見ると分かる通りこの「科挙」という本は昭和中期の1963年に発刊され、以降刷り上げて第65版のギッチリ絞り込まれた専門書of専門書であり、中公新書において栄光の書籍ナンバー15である。ちなみにこの後紹介する2冊の内「謎の漢字」がナンバー2430、「諸子百家」がナンバー1989であり、そのベテラン通り越したレジェンドっぷりがご理解いただけるだろうし、色褪せることのない論理を描いた名著であった。

全体を通しての「科挙

六世紀末に生まれた社会制度

 ……人民の中から公平に人物を採用する試験制度こそ最良の手段だ。こうして科挙が始まったのである。

 これは実にすぐれたアイディアである。そしてこの科挙制度の成立したのが、今から一四〇〇年ほど前の五八七年だということは、驚くべき事実である。

 なぜなら第六世紀はヨーロッパでいえばゲルマン民族移動の大混乱がようやくおさまりかけた頃で、中世的な封建諸侯の割拠、その花形である騎士道の黄金時代はこのあと長い時間をかけて展開されるからである。ところが中国では、封建諸侯にも比すべき特権貴族の黄金時代はこの頃すでに終わりを告げて、それに代わる新しい社会の胎動がきざしていた。科挙の制度も、単なる儒教の理念から形成されたものでなく、実際政治の必要に促されて、歴史の動きの中から生まれ出たものなのである。

上は序論の文章だが、改めて言われると大変驚くべきことだ。六世紀末と言えば中東ではメッカの商人ムハンマドが神の啓示を受けてイスラム教を開いた頃、日本は飛鳥時代推古天皇が在位していた頃である。1905年の清代まで続いた中国の社会制度がこの頃合いに発生していたのは大変なことであろう。思えば今から大体100年前には未だ実施されていたというのも同じく驚きである。

六世紀末の隋代に発生して唐代に完成した科挙は、古くから続いていた貴族社会への楔として設けられたもの、武官や貴族が固定化する宮中に風穴を開ける制度だという。制度は必要によって生まれるものだとは承知していたつもりだが、現代において様々に引用されたり揶揄されたりする科挙がなぜ発生したのか?についてはすっかり考えていなかった。それほど大きなものだと感じていた証左だろう。科挙ってすごい。

合理的で不合理な

 数え年の八歳が正式に学問を始める年頃とされ、いわば初等教育が始まる。もちろんこれは金がかかることなので、貧乏人にはそんあ余裕はない中流以上の家庭では、寺小屋、普通に閭学・社学・学館などといわれているところへ頼み込んで入れてもらう。先生は大てい失業した官吏か、何べん科挙を受けても失敗していつのまにか年とってしまった老学究で、一組八、九人の生徒を受け持つのが普通である。

科挙の制度は非常に合理的である。地方受験を行ってふるいをかけ、中央に集めてさらにふるいにかける。年代によって違いがあるが、その試験回数は二けたを下らない。十度以上の試験を潜り抜けた者のみが登台を果たすのだからまあ狭き門であり、同時に得られる栄誉はいかほどだったろう。本文にはその栄誉を浴びて喜ぶ人々や狂喜のあまりほんとうに狂ってしまった人のエピソードが事あるごとに挿入されているので、読んでみてほしい。手を叩いて笑ってしまうほどには大変面白い。

また、その暗部にも多く触れられていた。汚職カンニングの横行や学閥の発生については耳にしていたが、そもそも学校制度が長らく存在していなかったという記述には驚いた。現代日本における大学受験を行うのに公営の学校が無ければ基礎教養は私塾のような形態に頼らざるを得ず、その値段が青天井に釣りあがるのは必定であり、それで「万人に開かれた官吏登用制度」は無理があろう。もちろん学校を作ろうという流れはあったがそのたびに汚職その他でぺしゃんこになっていたのだという記述もあり、乾いた笑いが出てしまった。

因果応報の場

 ある会試同考官が受持ちの答案の中からすばらしくよくできたのを見つけて、これを第一に推薦しようと考えていた。その晩の夢枕に閻魔様が立ち現れて、

「あの答案はおよしなさい。あれは台州の某挙人の答案です。この人は郷里において三百代言人となり、たびたび人を訴訟に陥れて悪事を働き、無実の罪で人を死なせたこともあります。」

 といった。そこでその答案の推薦を見合わせて落第にしたが、あとで座席番号と名前を照らし合わせると、閻魔の言った名前と寸分ちがわない。出身地の人に尋ねると、評判はやはりその通りであり、本人はまもなく北京の宿屋で客死した。

上でエピソードの挿入の話をしたが、この本とにかく挿話が多い。科挙という格式ばった制度の建付けの話や汚職と禁制のいたちごっこの血みどろが主な内容である中で、これらは一種の清涼剤のように機能していた。たぶん意図通りだろう。内容も多岐にわたるが、大体の場合が良いことをした人は受かり、悪いことをしたやつは落ちる、すっきりした仕立てになっていた。

これは因果応報、もう少し言えば儒教の精神に通じるものがある。試験の遅れを気にせず他人に尽くして仁義を示した話、過去の殺生を隠していることを霊に告げ口されて信を失った話と、眺めるに類型が感じられた。思うにこれらは儒家の精神を流布するために作られた話であり、万人に通じる文化として選択されたものの一つが科挙だったのではないか。それにどれも真に迫った節があり、どこか現実味があった。

【宣伝】好きで読んでいる漫画「この世界は不完全すぎる」の作者さんである左藤真通さんが、科挙についての伝奇な部分にフォーカスした漫画をあげてらした。たいへんおもしろかったので、ぜひ。

「字を惜しむ」と書いて

 だれももらい手のない答案は試験会場内に設けられた焼却場、惜字炉にくべて焼く。惜字とは文字の書いてある紙を尊重するという意味で、それを焼くかまどは試験場以外、町角などにもよく設けられている。いやしくも学問に携わるものは神聖な文字の書いてある紙をふんだり散らしたりしてはならず、白紙以上に大切にしなければならなかった。字の書いた紙を粗末にすると、その罰で試験ごとに落第するものだし、反対に他人の捨てた字紙を拾い集めて焼きすてていると、その功徳で試験に合格することが多いという。そこで試験委員の方でも答案用紙は惜字炉にいれて処分したのである。

わたしがこの本を読んで一番良かったと感じたのは、この炉の存在を知ったことだ。上のツイートにも書いた通り、たいへんにエモい。受験生が命懸けで書いた答案を乱暴に廃棄するのでもなく、個人情報だからと永遠に貯め込むのでもなく、惜しみながら焼き捨てる。美しい行為である。きっと試験のたびに大いに火の手があがったことだろうし、それを見て市井の人々は今年の科挙がひと段落したことを知るのである。風物詩としての答案焼却、拝んでみたかった。こんどやろうか。

この惜字炉、なんと日本国内にも存在している。調べると日本でも科挙が実施されていた、というわけでもなく、不用の字紙に敬意をもって供養するという精神が明代に輸入され、沖縄や長崎、大阪の所縁ある場所に今も遺されたもののようである。なんにせよ文字が好きな人類としては垂涎やるかたない代物なので、いつか行く。かならず行く。

www.city.osaka.lg.jp

www.city.nagasaki.lg.jp

www.town.nishihara.okinawa.jp

歴史の闇に葬られた「武」の科挙

 中国の政治の原則として文と武は車の両輪のようなものであり、どちらを無視しても政治はスムーズに運用されぬと考えられる。そこで科挙実は文科挙と武科挙の二つにわかれていたのであるが、ただその比重は問題にならぬほど文科挙の方が尊重され、単に科挙といえば文科挙をさしていたのである。

2023年度共通テスト世界史Bの誤字として一躍世間の俎上にのぼった「科拳」、手書き入力だのOBSのミスだの科拳のエースだのと散々擦られていたが、このようにバッチリと「文と武は車の両輪のようなもの」と書いてある以上科拳も存在したとゆわざるをえない。歴史の闇に葬られた「武科挙」則ち科拳は、やはり確かに存在したのだ―――

ということはまったく無いが、それにしても武の側の科挙があるとは思っていなかったので驚きである。言われてみれば学問とスポーツは共に人類と発展してきたものだから両方の部門があるのは道理であるし、同時に政治の側面に風穴を開けるために設けられた制度なのだから武科挙が軽く扱われるのもうなずける。そりゃあそうである。

 本書にこれまでのべてきたところも、正確にいえば文科挙のことなのであって、別に武科挙、略して武科、あるいは武挙なるものが存在していた

いやだったらもう武拳もあったでしょ!!!武科、武挙と来たらもう武拳まであと一歩半だよ!!!!!これで武拳が無いのに共通テストに出たのはやっぱりおかしいって、民明書房で歴史の闇に隠された真実を語っていけッッ!!!!!!!

 もっとも政府でも世間でも、武科挙に対する関心はきわめて薄く、その合格者に対する礼遇も、合格後の待遇もほとんど問題にならぬくらいであった。しかし、制度としてこのような試験が存在したことを全く無視してしまっては不公平となり、文科挙そのものを理解するためにも不十分な結果となることを免れまい。

記述にはまた「軍隊で幅がきくのは兵卒からのたたき上げで実戦で手柄をあげた将軍である」「武科挙あがりだと兵卒の心理も分からず軍隊の駆け引きもコツも会得できない」「結局武進士は内地の平穏な場所で部隊長を勤めるようになり、世間の評判は一向に良くはならなかった」とあり、もうボコボコであった。武芸百般の習熟を見るために成立していた武科挙は、結局は実戦で最重要な人を率いるという要点を抑えることは出来なかった。科拳は武と云うよりは舞、舞踊であったのである

李徴という男の話

 合格者の姓名は、係員が大きなプラカード、榜(ぼう)をもち出し、民衆の面前で成績順に書きながら公表する。向かって右端に竜、左端に虎を描いた白紙の最初のところに少し空白を残して、第六番の姓名から書き出し、最後の名を書き終わるとしばらく休憩のために係員が引き込む。姓名を書き上げられた挙子は大喜びだが、名のおちている者はまずたいてい落第だがまだ一縷の望みなきにしもあらずで、まだ発表されない始めの五人の中に入っていないとも限らないのである。やがて係員が再び現われて、第一番から第五番までの姓名を書き上げると、群衆はやんやと喝采する。監臨官が見終わって大きな印を押すと、これで万事終了したことになる。発表はおおむね九月五日から二十五日の間に行われる。

郷里での科挙である郷試、これの合格者の名前が書かれる榜と呼ばれるプラカード、竜虎榜とも呼ばれるこれは誰もが読んだことのある名作小説山月記」の冒頭にある「虎榜」と同一のものである。郷試は現代における博士課程をうんと強くしたものだとされ、従って合格者はマスターに近い存在で専門職に就くことができ、また次の試験である会試を受ける資格を獲得する非常に栄誉ある資格所有者である。発狂に至った李徴という男がなぜ虎になったのか?は議論あるところだが、博士課程を終えマスターの地位を得た上で気が狂ったと書くとまた違った味わいがあろう。南無三。

www.aozora.gr.jp

余談だが、李徴はなぜ虎になったのだろうか。この問いは二つに分解される。すなわち「李徴はなぜ人ではなくなったのか」が一つ、そして「李徴がなった先はなぜ虎だったのか」である。前者に関しては人虎伝との比較から、中島敦は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を代入しているからこれであろうとされているし、自尊心と羞恥心のループに囚われた結果であるという筋書きに異論はない。どういった心情を辿ったかは考えると面白いモノがある。

問題は、なぜ熊でも竜でも兎でもない虎であったか?という話である。これは「虎である理由」を演繹法的に並べて組み上げる手法と「〇〇ではない理由」を否定神学のように浮かび上がらせる手法の二種類に大別される。「孤独を求めたから虎なのだ」「天に昇ってはいないから竜ではない」といった具合だ。中学高校の授業でやった人もいるだろう。

これがまあ分からない。色々な理由を見聞きするが、これ以外ないという正解が求めにくい。もちろん「中島敦が人虎伝を底本にしたから虎なのだ」という番外戦術的ワイルドカードもあるが、これも「なぜ中島敦は人虎伝を底本にしたのか?」となり、中島敦人生史の研究に逸れていく。結局人それぞれに「これだ」という理由を持つのが良いのだろうと思う。

とりとめもなくなってきたので、終わり。触れられなかった部分や全体の歴史的経緯も厚みと説得力が尋常ではなく、面白い本だった。買おう!

『謎の漢字 - 由来と変遷を調べてみれば』 (中公新書) 笹原宏之

謎の漢字 - 由来と変遷を調べてみれば (中公新書)

スマホやパソコンでは、嬲、娚、娵、啌、鯲、蟶、妛といった不思議な文字を打つことができる。しかし、いったいどう読むのか。何に使うのか――。これらの漢字の由来を徹底調査。また、江戸時代の五代目市川團十郎が先代「海老蔵」を憚って自分はザコエビだから「蝦蔵」と称したという説を検証する。さらに「止めるかはねるか」等、テストの採点基準を科挙にさかのぼって大探索。漢字の不思議をめぐる楽しいエッセイ。

地名にあるからJISに載る

面白かった。漢字とは長い歴史を持つ大変謎めいた存在である。そもそも私自身が旅行や散歩の中で妙な看板や漢字に出会うと喜ぶタイプの人間であり、大変気になっていたジャンルで会った。またそれらと並行してJIS漢字だの第二水準だのの体系だった話とその成立に接続していたので、学びの多い著作だった。

そもそもパソコンで使える漢字とそうでないものとを分けたのは全国に既に存在した地名であること、それらから漢字を悉皆に集めたがゆえに多岐にわたる古文書文化や言葉が守られたことなど、興味深い内容が非常に多かった。漢字は何が誤字なのか、そもそも誤字とは何かという問題についても詳細に歴史的経緯がまとめてあって、記録としてとても読みごたえがあった。

未知に触れるということ

 ほかにも、都内などのラーメン店では、メニューに「咾麺」を見かけることがある。ラーメン(拉麺)の「老麺」(ラオメン)に「口」を加えた表記で、客の目を引く効果がありそうだが、これにもこの字(註:承前、咾別(いかんべつ)という地名が北海道で報告され、JIS漢字に採用されていた)を入力することが可能になっている。さらに酢豚のことも、「咕咾肉」(クーラオロウ)と、本場風に打ち込むこともできるようになっている。

 このような応用がさまざまに行われており、日本各地の小地名がコンピューターの漢字に果たした役割の大きさ、そして多彩さを実感することができるであろう。

本文中では「拉麺」「老麺」「咾麺」などの漢字違いの同義語や、ある土地にしかない地名など多岐に渡る漢字が並んでおり、知らないことが多くあった。上のあらすじ冒頭に出た言葉を全て読めた人もそういないだろう。正直私も読めない。この読めなさ、当然のようにそこにある物事への分からなさというのは、如何ともしがたいものである。未知であると思うことは己の無知を認めることであり、かなり苦しみを伴うことだと思う。「どうでもいい」の箱に入れてそのままにするのが一番ラクでもあるだろう。

作者自身はフィールドワークでそういった疑問に思ったり引っ掛かった物事を手掛かりに研究をオッ始める人であり、そういった経験談をエッセイ的にまとめていた。読むうちに、そのために必要なことは「未知に興味を持つこと」「知らないということを面白がること」であろうと感じた。体当たり的に恥じることなく不明に立ち向かい、物事の筋道を明らかにして自分の言葉で語る。その姿勢には素直に経緯を表したくなったし、私もそのように在りたいと思った。

漢字から見る「科挙

 律令制を整えた唐朝では、官吏登用の際の人物評価の基準として「身言書判」が重視された。これは宋代初めに廃止されるまで続くが、その後は「言」すなわち話し方は重視されなくなっていき、儒教の知識と詩文を書く能力が測られていく。

「心が正しければ筆も正しい」「書は人なり」文人たるものに備わった当然の技量という書道(書法)についての考え方や人間観がそうした古来の文言には投影している。受験生の書には、楷法の遒美さ(力強い美しさ)が求められた。その筆跡には、進士となった顔元孫が『干禄字書』の冒頭に述べるように、科挙(とくに六科のうち進士科)の答案においては、当然の前提として、正体(正字体)が書けることも条件として含まれていたのであろう。

どうして漢字を綺麗に書かなきゃいけないのか?という命題は幼少期から抱く永遠の課題だが、少なくとも当時の官僚は、公文書として規範的な文章を書くことが求められたのだろう。他にも「吉」「𠮷」の違いや誤字の歴史的経緯など、様々な角度から漢字という概念を分析している。「日夜正確な字を書こうとするあまり手はタコだらけ、目は飛蚊症のようになった」と嘆く詩人白楽天の手紙にも触れており、たいへん読みごたえがあった。

正確な文字とは難しいものである。科拳などは論外と言って差支えないだろうが、私自身も商談の際にメモで「な」と書いたつもりが、顧客から「それは『る』か『ゐ』か」「文脈に頼るな」と辛辣なブローを受けて敢えなくマットに沈んだ経験がある。硬筆や毛筆で書くことの不安定さはこの書籍の筆者も認めるところである。だからこそ皇帝が事あるごとに辞書を編纂することは国家の大事業であり、また国家統一という必要に迫られてのことなのだろう。受験生が誤字をして減点されたことが文献として残っている辺りからも、そういった漢字変遷の連綿を記録した媒体としての価値が科挙にはあるのだろう。歴史である。

諸子百家儒家墨家道家・法家・兵家』 (中公新書) 湯浅 邦弘

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

春秋戦国時代、諸国をめぐって自らの主張を説いた思想家たち。彼らの思想は、その後の中国社会の根幹を形作ったのみならず、日本をはじめ東アジアにおいても大きな影響力を持った。一九九〇年代には大量の古代文献が発掘され、これまで謎とされてきた事柄も解き明かされつつある。新知見を踏まえ、儒家孔子孟子)、墨家墨子)、道家老子荘子)、法家(韓非子)、兵家(孫子)などの思想と成立の過程を平易に解説する。

孟子の新発見

面白かった。1993年という近年に出土した新規文献によって得られた最新の知見を交えた、現時点でのマスターピースと言えそうな文章で、読む限りこれって教科書が書き換わるんじゃない?という所感である。反証可能なものが科学だという言説があるけども、新しい文献によって移ろいゆくが歴史の愉快なところだなあと思った。

個人的に孟子性善説が何となく好きなのでそういう方向の学び直しになると良いなあと思っていたが、タイトルの通り春秋戦国の百家争鳴からの儒家から始まる思想の連綿と継がれる系統体系と、その中で孟子がどの位置を占めているのかを認識できて大変助かった。特に先述した新規文献によって認識されたのが他でもない孟子の思想と孔子のそれとを繋ぐ内容であったのが興味深かった。孟子だけ独立して扱われていた気がしていたので、これでちゃんと儒家の中に位置づけられた思いである。

あと、昨今書店のビジネスゾーンを眺めると、孫子に学ぶ!的な書籍が非常に多く並んでいる。何でかなあと思っていたがこの本を読むにつれ、他の思想と比較して孫子の兵法は用兵であること、また墨子と比較して体系立った文献があるため、例示しやすいのだろうと思った。個人的に自己は自己で啓発するものと思っているので手には取らないが、あれらの書籍は人生や社会における非常に明確な指針になっているに違いない。温故知新の一つの形である。

思想から見る「科挙

 最初の問題は「四書」から出る。大きな紙に問題を書き、榜というプラカードにはりつけて場内を練り歩く。たとえば「論語」の本文にある「君子に三つの畏れがある」というのが問題に出ると、その答には「天命をおそれ、大人をおそれ、聖人の言をおそれる」という下文を引用し、それに朱子の意見や自分の解釈を加えて一つの文章をつくるのである。

科挙 中国の試験地獄』 (中公新書) 宮崎市定 より

本文中に科挙についての言及は無かったが、却って科挙の存在を強く感じる。なぜなら科挙を受ける童生は、いろはうたのように重複の無い韻文である千字文、初歩的な歴史書である「蒙求」の次には、四書五経を学ぶのである。四書とは『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経とは『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』であり、四書がモロにこの書籍にでてくる諸々と一致する。

四書とは論語を始めとして全て徳治主義を軸とした儒学の経典その代表であり、前漢時代から中国における社会規範となった。唐代には法家の台頭で一時は勢力を弱めたが、今もなお慣用句や四字熟語となって連綿と語られる純粋な思想である。それらは中国史の大半において学士試験である科挙の中で大きな位置を占めており、したがって儒家の新しい文献が発見されるということは科挙制度の位置づけにも影響があろうと思う。これからの新しい歴史に期待したい。

おわりに

いかがだっただろうか。歴史の闇に葬られた科拳は結局見つけることは出来なかった、なので科拳は誤字である。強いて言うならあの校正を通した役人こそが闇に葬られるのだろう。南無三である。

一方で「武科挙というものは存在した」という事実もちゃんとこの目で確かめることができた。この誤字であったという事実だけで留まらない、似たような名前の科挙はあったという事実も加えると、今回の小さな騒動はより面白く、興味深く拝めただろう。

一つの物事を多角的に見る視点とそのための雑学的知識、加えてそういったいつ役に立つか知れない知識を、役に立たなくても良いのだと言いながら摂取していく気概を持ち続けたいなあと思った。無知の知は大事だと思いながらやってきたので、トリビアルに生きることを引き続き楽しんでいきたい。

ちなみに科拳問題、実質の真相はOBSへの過信だろうと踏んでいる。以下のツリーが詳しかったので、ぜひ。

おわり。