甘口ピーナッツ

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『神の亡霊 近代という物語』がメチャ名著だった話

はじめに

 読みました。メチャクチャ面白かったです。

 ……いやこんなコンクリートブロックみたいなデカ本捕まえて何を宣うのだと頭をはたかれそうだが、本当に面白かったんだ。詳細はいつか書くが、現状の所感を以下に書いていく。すげーぜ、この本。

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己の手で己を啓発すること

 「このごろ都に流行る物 タイパ労働ニセ知識」とどこかの川辺に書き捨てられていたが、中でもその中核をなすものが自己啓発書なる代物だと思っている。百貨店の中でもエキナカでもどこでも本屋の一丁目一番地を占めているのは「社会人必読!」「真実!」「これはダメ!」などの警句が躍るあの表紙がテカテカした書物群だ。(余談だが、先日引っ越した先の最寄りの書店が特にその傾向が強く、同居人と共にゲンナリしている。こういう所で気が合う人間と屋根を共にできることほど心強いものはない。)

 ああいった、インスタントに「真実!」を口に入れてこようとする書物が、私はあまり得意ではない。知識とは材料のようなものであり、触撫を通じてその性質や由来や他との親和性を知り、最後に自分の中にあるパズルに組み込んで見せることで初めて自分の中で真実が結晶すると信じている。その点自己啓発な書物から得られる知識というものは確かに綺麗で既成な形だが、その組成や匂いはあまりに型にはまり過ぎていて、であるがゆえに身体に馴染まない。自分の中の知識体系と組み合うことがなく、スルッと抜けてしまうのだ。これではいけない。

 その点この『神の亡霊』は帯文に「本書は読者が著者と一緒に考えるための道具である」とある通り、筆者の思考の過程や過去の偉人の考察などがあくまで道具として陳列されている。あとがきで「論理の飛躍とかが無いように死ぬほど推敲した(意訳)」とも綴られており、もう信頼感MAXだ。既に組みあがった既製品ではなく、これから自由に組み合わせて新しい視座を作れるパズルのピースの原型のような文章が、洗練された状態で読者の懇請を待っている。自分を簡単に啓発してくれる美辞麗句ではなく、自分の手で自分を啓発していく材料であるように慎重に言葉が並べられているのを感じる、そういう文章だ。

教科横断的な内容

 AIやIoTなどの急速な技術の進展により社会が激しく変化し、多様な課題が生じている今日、文系・理系といった枠にとらわれず、各教科等の学びを基盤としつつ、様々な情報を活用しながらそれを統合し、課題の発見・解決や社会的な価値の創造に結び付けていく資質・能力の育成が求められています。  文部科学省では、STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)に加え、芸術、文化、生活、経済、法律、政治、倫理等を含めた広い範囲でAを定義し、各教科等での学習を実社会での問題発見・解決に生かしていくための教科等横断的な学習を推進しています。

 仕事柄教育関係の記事を拝むことが多いのだが、数年前に文部科学省のHPにはこのような文章が出た。こういったお役所ジャーゴンには反射的に〇指を立ててしまう反骨精神を私は飼っているのだが、なだめすかしながら読み進めるとこいつが中々面白い。価値の創造などは個々が勝手にやる領域だが、その前段階の各教科の学びを統合していくのが見どころである。

俗に言うポンチ絵。見てるだけで無性に腹が立つがよく読むと面白い奇妙さがある

 そもそも我々の人生は常に教科的物事を反復横跳びし続けている。化学と家庭科の融合である料理を試みては国語文章の書かれたレシピブックをめくり、工学の結晶であるスマートホンを触っては古典を底にしたオヤジギャグを考えている。そもそも猫も杓子も一緒くたな人生を常に歩み続けているのが我々であり、文系だの理系だのの事細かな区分は単に50分1単位のカリキュラムにブチ込むために便宜上切り揃えているに過ぎない。本質的に人の思考は教科横断的であり、裏を返せば教科とは人類の知恵をわざわざ分割して体系学習しているに過ぎない。教科を貫いて学ぶのはむしろ自然と言える。

 では『神の亡霊』はどうかと言うと、第二回のタイトル「臓器移植と社会契約論」が象徴的だろう。人の生死について観念論と生物学的定義から切り込んだかと思えば哲学史の総さらいを実践し、理論物理学を齧りながら人の主体性を論述しようとする、文理も教科も縦横無尽に語り尽くした意欲あふれる文章である。刊行が最近だけど、たぶんそのうち教科書にも入るんじゃないかしら。そのくらい下地のしっかりした文章である。おまけに引用も明確で補遺も充実、読み進めるだけで情報の簡潔さと完結性にウットリしてしまう。

おれは必ず再読する

 他にも色々思うところや感想感動その他があるが、一旦切り上げる。というのもこの本を読み始めたのが1年半前であり、序盤の内容が朧気もいいところなのである。最初の方はもうなんか小坂井が「葬式ってのがよくわかんねえんだよな~」と滔々と語っていてなんだこの人……とドン引きしていた記憶だけがあり、とてもじゃないが真面目に語れない。幸いにも面白いところに貼ろうと決意して貼り進めた付箋が都合27枚あるので、これに沿って再読していけば少なくとも27箇所を再読することが可能である。昔の自分はえらいものだ。

 先述したが、世の中の物事をインスタントに理解するのではなく綿密に解釈するツールを獲得できるのが本書であり、それは教科などに囚われない幅広い知識知見その他から構成されている。他にも良書と呼ばれる書物はあるのだろうが、一度この『神の亡霊』という本を軸にして自分の思考の網の目をしっかりさせながら、色々なことを知る手助けとしていきたい。

 世の中は多種多様な情報が跋扈しており、巨人の肩に坐して依拠した方が安寧ではないかと思うこともある。しかしせっかく二本の足を持って生まれたので、自分でバランスを取りながら前に進む楽しさをもう少し味わってみたい。知識とは杖のようなものである。転ばぬ先の杖をさしながら、高度情報化社会を流されないようしっかり生きていきたい。そのために本を、よく読んでいきたい。

 あわよくば連載形式で感想文を書いていきたいよね。3000字くらいで、1月に1~2本とかさ。

 おわり。