甘口ピーナッツ

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探求する面白さ~「虎の威を借る狐」の狐とは?~

  仕事の内容を整理がてら書く。授業案のように展開や問いを織り込んで書くので、良ければ生徒のごとく、折りを見て考えながら読んでみて欲しい。“探究”と題打ったが、読み物としても成立させたつもりだ。

慣用句「虎の威を借る狐」

三省堂大辞林 第三版: 〔戦国策 楚策〕他人の権勢をかさに着て威張る小人(しようじん)のたとえ。 

小学館デジタル大辞泉: 「戦国策」楚策から 他の権勢に頼って威張る小人(しょうじん)のたとえ。

 内容は大体似通っており、我々の認識と相違ない。ここで言う「小人(しょうじん)」とは「度量や品性に欠けている人。小人物」のことであり、遊園地の軒先にある「幼少の人」仕事が大好きな七人組の鉱夫のような「身長の低い人。また、からだが並みはずれて小さい人」を表す言葉とは違う。特に前者は対義語が「大人(たいじん)」である点でも共通している。

 ともあれ小学生でも大体の人間がそらんじるだろうこの言葉、原義を辿ると約2000年前のある故事に行き当たる。これを紐解くことで何か得られるだろうか。

顧客の実態

 授業当初、顧客は「なあんだ、知っている話か」という反応だった。ここを読んでいる諸兄も大体同じ反応だろう。顧客らに挙手させるとほぼ全員慣用句自体を知っており、由来も把握して語れる者もちらほらいた。それを見てよしよし、とうなづいたのを覚えている。

 この状態には良い面悪い面があると考えている。

 良い面は、既存知識に結び付いた学習になるということだ。全くの未知でないから、入り込みやすい。興味のない内容であろうと、「知っていることを深める」のと「未知の内容を掘り下げる」というのではとっかかり方が違ってくる。国語教育のアドバンテージだろう。

 一方で悪い面は、同じことの焼き直しになる危険性があることだ。私は知っていることを授業と称して再度教えられるのが苦痛に感じる気質であり、大体の人はそうだろう。ロールプレイングゲームで巻き戻しを喰らった時の感覚がそれに近い。顧客らはそうなりたくないに違いないし、そうさせてはいけない。

 すなわち「既存の内容から知識を上回る内容を彼らに探求させ、新しい何かを見つける活動をさせる」必要があるのだ。まあ難しく、また楽しい領域だ。

故事「狐借虎威」

出典解説

 今回の故事「狐借虎威」、出典は中国が前漢の時代、紀元が切り替わる頃に編まれた『戦国策』にある。辞書によると、

中国、周の安王 (前 402即位) から秦の始皇帝にいたるまでの約 250年間の縦横家の権謀術策を 12ヵ国に分けて書いた書。中国古代の「戦国時代」という呼称は、この本に由来する。著者は未詳であるが,漢の劉向が当時の史料により編集し、『戦国策』と名づけた。『史記』の記述と合致するものが少くない。貴重な史料であるばかりでなく、人間の闘争の表裏を達意の文章で示している。後漢の高誘が注を加えた 33巻本があったが、そののち半分近くが散逸。現在は宋の曾鞏 (そうきょう) や姚宏 (ようこう) が校定した 10巻本によっている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典

 とある。歴史書というよりは弁論自体をまとめた物であり、説話集に近いか。他に馴染みのある故事では「先ず隗より始めよ」もこの著作に拠る。

本文・書き下し

 さっと目を通す。しばしば本文を書き写させる教師がいる。その効能も認められはするが、それに伴う精神的苦痛と苦手意識の定着が恐ろしいので、私はさせていない。それは少なくとも大学受験で問われない技能だし、何より本質的でない

① 虎求百獣而食之、得狐。 虎百獣を求めて之を食らひ、狐を得たり。

② 狐曰、 狐曰く、

③ 「子無敢食我也。 「子敢へて我を食らふこと無かれ。

④ 天帝使我長百獣。 天帝我をして百獣に長たらしむ。

⑤ 今子食我、是逆天帝命也。 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。

⑥ 子以我為不信、吾為子先行。 子我を以つて信ならずと為(な)さば、吾子の為に先行せん。

⑦ 子随我後観。 子我が後に随(したが)ひて観よ。

⑧ 百獣之見我、而敢不走乎。 百獣の我を見て、敢へて走げざらんや。」と。

⑨ 虎以為然。 虎以つて然りと為す。

⑩ 故遂与之行。 故に遂に之と行く。

⑪ 獣見之皆走。 獣之を見て皆走ぐ。

⑫ 虎不知獣畏己而走也。 虎獣の己を畏れて走ぐるを知らざるなり。

⑬ 以為畏狐也。 以つて狐を畏ると為すなり。

https://manapedia.jp/text/1805 

 教科書に引用される章段として有名な部分である。訳は示さないが、サッと読めば概要は掴めるだろう。必要に応じて愛すべきマナペディアを引きつつ、問いを展開していく。授業であれば ・禁止「無」・使役「使」・反語「敢不」を扱うが、今回は解釈を中心にまとめる。

問一 ⑧より、ここで言う「走」の意味で「走」を使っている二字熟語を出せ

 問いに当たって、まず「走」を見る。送り仮名を含めて何と読むべきだろうか。狐は自分を見て獣は何をすると言っているだろうか

~思考~

 教示。ここでは「にぐ」、現代日本の漢字を当てると「逃げる」に相当する読みが為されていると考えられるだろう。

 では、「逃げる」の意味で「走」を使っている二字熟語は脳裏に何個挙がるだろうか。

 戦争に負けて、陣を破られて、刑務所から出ようとして、様々に考えられるだろう。

~思考~

 「敗走」「壊走」「大脱走辺りが私の中で挙がった。他にも見つかった方がいたなら、良い語彙をお持ちなのだと思う。後でリプライなどで教えて欲しい。

 これは何の活動か。ただのクイズ大会か。これは「テキストと現代知識の紐付け」と「脳の準備運動」を兼ねている。ただでさえ二千年前に編まれた漢字の塊を扱うのである、冷えたままでは彼らは食べるのに難儀してしまう。最小の労力で彼らを温め、視界に入る塊に切れ込みを入れる手助けをする必要がある。

問二 ⑪獣は何を見て逃げたのか

 問一の情報を混ぜ込み連続性を持たせる。獣は何故逃げたのか。可能な限り論じてみてもらいたい。

 ポイントは、視点だ。作中の視点によって、ここの解釈は変わってくる。明言できるだろうか。

~思考~

 獣の視点では、「虎の姿を見て」、逃げている。これは⑫「虎獣の己を畏れて走ぐるを知らざるなり。」から分かる。

 虎の視点では、「狐の姿を見て」、逃げていると思っている。これは⑬「以つて狐を畏ると為すなり。」から分かる。

 まとめると、「獣は虎を見て逃げていて、虎はそれを見て、天帝の使いである狐を見て逃げたと考えた」となるだろう。

 上のようなことが発想されていれば、良く読めていると考えて良いだろう。大分論理が簡潔な文章なので、比較的容易に読める。まさに「虎の威を借る狐」という感じだ。

 これは何の活動か。本文の情報を読解して解釈する能力である。幾つかの文章を整合的に扱う能力であり、従来の「文章読解」という枠組みであればここまで出来れば「理解できた」の太鼓判が押されるだろう。留まるべきではないので、もう少し深める。

 ※扱わないが、上に出た「天帝」というワードでもなかなか掘れたので時間のある方は是非調べてみてほしい。「腹の虫がなる」「虫の居所が悪い」など体内の虫に関する慣用句は色々あるが、体内にいる虫の本来の役割をご存じだろうか?

幕間 前後の情報を足す

 本文の背景情報を足す。本文の前後には、このような文章がある。

楚宣王問群臣曰、「吾聞北方之畏昭奚恤也。果誠何如。」群臣莫対。江乙対曰、 楚の宣王、群臣に問ひて曰く、「吾、北方の昭奚恤(しょうけいじゅつ)を畏るるを聞くなり。果たして誠か何如」と。群臣対ふる莫し。江乙(こういつ)対へて曰く、

~本文~

今、王之地、方五千里、帯甲百万、而専属之昭奚恤。故北方之畏奚恤也、其実畏王之甲兵也、猶百獣之畏虎也。」 今、王の地、方五千里にして帯甲百万ありて、専ら之を昭奚恤に属す。故に北方の奚恤を畏るるは、其の実、王の甲兵を畏るること、猶ほ百獣の虎を畏るるがごときなり」と。

 時代は春秋戦国時代、秦の始皇帝が中国大陸を統一する前の戦乱期である。楚は中でも中国大陸南方を占めていた国家であり、序文の「北方」とはつまり「北に位置する秦、魏、斉のような敵対諸国」のことである。これらの対応を昭奚恤という軍略家に任せているが、ならば北方が恐れているのは王たる自分と昭奚恤のどちらか、と問うのである。ここから今回の例え話が、「江乙という人物が、不安に駆られる楚の宣王に語ったものだ」と分かる。ならば江乙の意図は何か。枠組みを広げて、更に解釈を深める。

問三 本文と舞台をリンクさせると何が言えるか

 江乙の例え話はどういった意図を持っていたのか。登場人物である「虎」「獣」「狐」は、何に当てはまるか。

~思考~

虎は何か

 これは、楚の宣王と言える。本来は他諸国への脅威の根源で有りながら、狐に騙されている様子が描かれている。

獣は何か

 これは、秦・魏・斉ら周辺諸国と言える。何かに恐怖する姿を虎に示しているが、虎は何に獣が怯えているかを掴めずにいる。

狐は何か

 これは、昭奚恤と言える。虎に助言をし、「獣は自分を恐れている」と虎に言い含め、結果として生き延びている。

まとめると

 江乙が宣王に言った「狐借虎威」という進言は「周辺諸国が昭奚恤を恐れるのは、宣王が背後にいるからだ。」という意味であったと翻訳できる。世間の状況を動物や人物にあてはめて論じる形式は、「蛇足」や「二兎追う者は・・・」という故事にもある通り、ポピュラーなものである。江乙はとても良く当て嵌めたと言えるだろう。

 ・・・上の翻訳に違和感があるだろうか。もしあるなら、大変鋭い。軍師に向いている。

問四 江乙のこの進言には、どういった意図があったと解釈出来るか

 では結局、このような状況を示すことで宣王に何が言いたかったのだろうか。実は答えは2パターンあるので、顧客らに意見を交換させて面白がらせたいところだ。

~思考~

宣王を安心させる言葉

 やはり目的は宣王の安心であるので、「北方の国々(=獣)は、昭奚恤(=狐)ではなく、宣王(=虎)を恐れて攻めてこないのである。」という論理を示すことで、「宣王の力を称賛し、変わらず北方への威を示せている」とした、という解釈が立つ。安心ベースであるならこの解釈が妥当であるし、このように説く解説書は多い。

 この解釈で留まって良いだろうか。直観的に江乙の素振りに不信感を抱く人はいるだろうか。以下の情報を加えて、より深める。

昭奚恤と江乙

 昭奚恤であるが、彼は事実として秦・魏・斉の北方諸国を押しとどめている。軍師として力を発揮しており、周辺諸国への脅威として機能している。

 さて、楚の宣王の側にいる江乙であるが、実はこの人物は本来は魏からの使者であり、なぜかそのまま宣王に仕えている、という経歴の持ち主である。教科書の注釈にちっさく載っている情報なので、見つけた顧客が大声をあげていた。

 この二つの情報から、何が言えるだろうか。

~思考~

江乙のもう一つの意図

 江乙が魏の人間であった、という仮定を立てる。そうすると言えることが増える。

「江乙は昭奚恤の失脚を狙っていた」「宣王の昭奚恤に対する疑念を深め、二人を引き離し、楚の力を弱めようとした」「江乙が宣王を惑わせ、楚を崩そうとした」という解釈が立つ。ここで共通するのは、この進言は「宣王は昭奚恤に言葉巧みにだまされている」という意図が暗にあった、という解釈だ。

 そもそも「虎」の扱いが良くないとは思わないだろうか。進言の中では狐にまんまと騙されているが、私にはこれが王としての愚鈍さに映る。その後に江乙は「北方の奚恤を畏るるは、其の実、王の甲兵を畏るること、猶ほ百獣の虎を畏るるがごときなり」として虎の権威を強調しているが、江乙の素性を鑑みるとどちらが本音か図りかねると感じている。  魏と渡り合う中心人物である昭奚恤、彼が失脚すれば楚は確実に弱体化する。それを狙って江乙は昭奚恤を「狡猾な狐」に喩えて、表面上は宣王を立てつつ暗に「愚鈍な虎」と愚弄し、昭奚恤への印象悪化を狙ったのではないだろうか。

「楚」という国

 ここだけでは真意は図れないが、戦国策の中では江乙が昭奚恤の失脚を狙ったとする話が多数あり、この解釈の信憑性は高い。( https://ameblo.jp/otakurounin/entry-10265807230.html )またここから100年後に、国土の広大化に伴う統制の弱体化と内部分裂によって、楚は自壊するように終わっていく。史書や資料集に書かれる栄枯盛衰の内側には、遊説家と軍師とのしのぎの削り合いがあったりするのだ

おわりに 何を探求するか

 いかがでしたか?(定型文)

 現代に於いて「虎の威を借る狐」などと言ったら「他人の権勢をかさに着て威張る小人」という意味のみが残っている。非常に洗練されており、慣用句としては正しいあり方だ。

 一方でその原義を辿っていくと、領地を奪おうとしつつも何かに怯える獣や、有能に働くが故に失脚を狙われた狐や、勇猛な姿を誇示しながらも暗に愚弄された虎らが噴出してくる。これらは活き活きとしながら幾重にも重なっており、情報や解釈によって様々な色合いを見せる。

 私は、こういった所に国語の、特に古典教育の面白さを感じている。すなわち身近な要素を端緒に掘り下げ、知識やテキストの情報を突き合わせ、納得がいく解釈を生み出していき、その中で気づくと既存の知識の足場がグンと広がっている。そういう意味では「走の意味」も「江乙の意図」も本質的には同じだ。解き明かすべき無理難題を探して右往左往せずともポケットを探るだけで探求心は充足されるし、その過程で得られた力は何にでも応用が利く技能だろう。何より私はこの解き明かしていく過程が楽しくてたまらない。そういった力、探求し探究する力を彼らに身に付けていって欲しいし、少なくとも自分はそうありたい。

 おわり。感想はTwitter( @jimmy_9609 )リプライ欄までお願いします、大変励みになります。