和の国を舞台としているストーリーイベントとして第6章「大和の都」がある。ワールドフリッパーのメインストーリー終盤としてかなり重要な設定や伏線を貼った話であり、黒ステラのお目見えもここが初だったと記憶している。
今回のイベントの注意書きに「6章のネタバレを含むよ!」と書いているからには、何かあるに違いない。ここを軸にイベントに向けた情報の整理を行い、可能な限り情報を整理し、言える事があれば言っていく。
今回はもう一つ軸として、
https://twitter.com/jimmy_9609/status/1311570743252008960?s=21
という過去の大言壮語が本当にあっているのかを精査する意味も置きたい。このイベントの先には何が待ち受けているのか?リョウキちゃんは何者なのか?その辺りを考えていきたい。
大抵の場合結論は直観や直感の形で得られ、その整合性は後から検証されるものである。「エモい」「推せる」という感覚が先に来て、なぜ良さがあるのか?という理由づけはその後だろう。上の考察には整合性はあるのか?私は桜の木の下に埋まらずに済むのか?今回は高い確率で運営に轢殺されるのが目に見えている考察なので、どうか暖かい目で読んで行って欲しい。
〜追記〜この辺りを書いてた時点ではイベント後半が未公開でしたので予想っぽい書き方してます。実際はもうイベントも終わろうとしてますが、当時の自分を残したいのでそのまま残します。恥を晒せ。
第6章「大和の都」概説
いつも通り、ざっくりとした情報整理を行う。
妖怪について
- 開幕イナホ可愛い
- 5年前から東と西とでよく似たワの国が融合しつつある
- 妖怪=怪異物の怪あやかしは、精霊とは違う
- 妖怪と陰陽連は対立している、陰陽連は妖怪を西に送り返している
- 異世界からの来訪者をマレビトと呼称
- 妖怪は山の向こう=西のワの国から見知らぬ人々とともに来た
- 東国に元々妖怪はいなかった
- 妖怪は本来こちら側には存在しないはずのもの
- イナホは西国の大禍「白面金毛九尾」の娘
- お社は桜が一年中咲く場所で、長い長い石段を登る必要がある
- お社に入った際、ライトのみ「空気が変わった…?」と発言している
- イナホはお社を「神魔の領地」「人が踏み入る事を許さぬ禁域」と評している
- 昔イナホとソウシロウは逢ったことがある
ソウシロウの「東国に妖怪はいなかった」発言が果てしなく引っかかる。その後にスイゼンが「かつては妖怪と神秘を扱う者がいた」「彼らは無かったものにされた、それはオロチに関係する」と言っている。どう筋を通したものだろうか。
直後にスイゼンの護衛らが「陰陽師が現れてから全てが狂い出した」「闇より蘇るものもある」「この国の者に教えてやる」と発言している辺りから組み立てると、
1 幕府率いる陰陽連の前身=隠密が昔から妖怪を秘匿し続けていた 2 陰陽師出現。何らかの優位性を以て幕府に取り入り、対妖怪の主役となる 3 前身らお取り潰し。歴史の闇に葬られ、陰陽師の下部組織に吸収される
といった順序だろうか。東国では常に妖怪存在は秘匿され続けていたのだろう。陰陽師が幕府に気に入られる理由がいまいち不明瞭だが、繋いだらこうなったんだから納得するしかない。妖怪を調伏出来る技術、辺りだろうか。
そんな陰陽師が西国合流で秘匿が破られておおわらわ、手段選ばず全員送り返して閉じよう、と言うのが陰陽連=スイゼンの目的なのだろう。そこに巫術士=闇ステラが幕府に戻りたい前身の残党に取り入りワールドフリッパーの力を流用して助力、大妖怪イナホの妖力を奪おうとした、と言う筋だろうか。ちょっとまとまりが悪いが、大方合っているだろう。
- 闇ステラはオロチを「星無き者、唾棄されし者」と呼称し「星を喰らえ」と称した
- オロチは「創世神話における古い神」である
- オロチは「過去の妖怪と神秘を扱う者たちが封じられた魂」に関係がある
うーん星、ここでも出てくるか。過去の考察でも扱ったけど、やはり“星”と闇ステラは対立している。それが幕府=既存の社会構造なのか惑星自体なのか何なのかはもう少し考える必要がある。うーん。
オロチ、廃龍の一種だと思うんだけど、いまいち繋がりが悪い。逆に言うとオロチ学を修めればもう少し廃龍とは何かを言える気がしている。廃龍は「恨みや怒りが形を取ったもの」と過去に解釈していたけど、これはオロチのありようにピタリと一致している。今回はそれに加えて「古い神」というモチーフと「星を喰らう」と言う目的が与えられている。他の廃龍たちはその辺りどうなんだろうか。
「大和の都」関連キャラ概説
本当はワの国キャラ全員を扱った方が情報量的に良いのだが、今回は上のイベントに登場したキャラのみでザックリいく。総合的な考察はまた今度だ。
[九尾の継承者]イナホ
- イナホの母は「人間を想っても裏切られる」と考えている
- ワの国には「画狂老人Z」という作家がいる
- 妖怪の権利や居場所はこれから築かれていく
愉快痛快に人との交わりを深めようとする妖怪筆頭。胸元が非常に危うい。キレた時に瞳が青→金色に変容するのが妖しめいていて好き。
無頓着に妖怪の権利云々と唱えているが、妖怪とは人からの畏れを根源に発生した存在だと相場が決まっているので、馴交することはかなり危うい気がするがどうなのだろうか。ワーフリ世界の妖怪がマナ由来などの別系統で成立する存在なら良いのだが。
画狂老人Zとは、こちらで言う葛飾北斎の雅号が一つのオマージュだろう。今回のイベントで顔見せまで果たした。…ワーフリ総合Discord考察チャネルでも話題になったが、これは「すでにキャラエピに今後のイベントの伏線が張ってある」と考えて良いのだろうか。そうなるとジャリルのあれやソーニャのそれが途端に現実味を帯びてくるが、その辺りどうなんだシテイルッ!(悲鳴)
[九尾の付き人]シラノ
- 炊事場が「東や南の者に汚染されている」と発言
- イナホの母君の本名は「白面金毛九尾クズノハ」である
- クズノハは「いつか妖怪は姿を消す」「あらゆる神秘は光に暴かれ、獣に堕す日が来る」と発言
- シラノは人がいつかクズノハの前に現れるかもしれないと考えている
知性派妖怪シラノさん、かなり意味深なキャラエピの持ち主。
クズノハ様は人妖のあり方についてかなり先まで見越している様子。神秘が“光”に暴かれるんですねえ。この発言は近代化における空想が科学に駆逐される過程と酷似しているから、そこのことなんだろうなあ。精霊やら何やらもいつか暴かれるんだろうか。
というか南ってなんだよ(哲学) 文字通り南蛮=別世界の食文化ととって良いんだろうか。良いんだろうな。我々の世界の常識をどのくらい持ち込んで解釈していいのか見当もつかない。創作物を賞味するときは丁寧にやらねばなあ。
[雲断つサムライ]ソウシロウ
- 手習い所を運営しているが赤貧である
- 5年前の交雑では良いことも悪いことも起きた
- 幼馴染に絵が達者な男がいる
- 妻の名前はイオリ、賑やかな中では彼女を思い出して胸が疼く
- 過去に恨みを抱く何かが起きていた
おとぼけ凄腕浪人。メインストーリーで主人公を襲う影を払ったのが文字通り「破雲ー風の太刀」なのは最高の文脈なので燃えた。
しかし「絵の達者な男」なあ。今回のイベントで登場したクグイは女性だろうし、また別に何かあるのか、単なるフレーバーテキストか。どっちだろうなあ。
和の国イベントならどんなところでも登場できるんだろうけど、惜しむらくは彼が強すぎることか。それはそうと闇堕ちソウシロウ過去編出てくれ(大声) るろうに剣心のあの浪人のようなギャップ風速が強い男に私は弱いんだ。頼むよ。
[希代の陰陽師]スイゼン
- 本名ゴギョウ・スイゼン。首領をしている
- 黒ステラや小狐からは「イズミ」と呼ばれている
- ワールドフリッパーは陰陽連が管理している
- 陰陽連は妖を調伏し新しい秩序を作ろうとしている
- 西国と東国の融合は黒いワールドフリッパーが引き起こした
- 東国は五生・龍天の陣で妖と神秘が満ちた
泉のほとりに捨て置かれた子、才ある様から天狗の子と揶揄されて生きてきたスイゼンはしかし、出自を嘆くこともなく「親が天狗なら今も元気だろう」と気丈に振る舞い、首領として切り盛りしている。
童子丸、「芦屋道満大内鑑」にて妖狐葛の葉が男との間に設けた子供の名だ。彼は成名を安倍晴明と言う。スイゼンのキャラ造形の一つだろうか。ワーフリは絡め方の手つきがとにかく良いなあ
[白蛇の陰陽師]ミズチ
- 元は水神への供物だった
- 式神は感情に拠って発現することがある
- 人間を憎しみ、恨んでいる
人への憎しみを抱く自分を肯定できず自己嫌悪に陥るミズチちゃん、いいですねえ(発狂) そんなミズチを「自分と一緒だ」と受け入れてしまえるスイゼンさん本当に良いキャラ。老成していて、恨みを抱きながら生きることを選択している。深みがあって美味しい。
ミズチに人身御供を行った村人をスイゼンに「無知蒙昧、未知を恐れている」と断じさせたのはよかった。砂漠世界でも獣世界でも、二つの世界の不理解と対立が描かれていたから、やっぱり一定のテーマとして貫かれているんだと思う。
イベント「妖怪図鑑編纂記」について
さて、イベントである。とても綺麗な、透き通った話だった。人の心根を丁寧に描き表したような感じがして、とても好感が持てる話だった。これだからワーフリはやめられねえんだなこれが。見ていこう。
1.ある日の陰陽連
- 陰陽連、内装綺麗ねえ!ドッター良い!
- クグイは過去に罪を犯したと考えている
- クグイは何かを忘れている
密室の中でうなされながら目覚める少女。忘れちゃいけないのに何かを忘れている。過去一で不穏な出だしだ。謎が配置され、これの解決が目的だとプレイヤーが一目でわかる構造。ワクワクしないわけがない。タイトルロゴの入りも最高ね!人形姫も最高だったけど今回はしっとりとキメてる。
2.妖怪図鑑
- 妖怪はあやふやな存在だ
- 妖怪は畏怖を集めることで本当に恐ろしい存在へとねじ曲がる恐れがある
- クグイは自分の絵を恐れ、絵に目を入れられないでいる
- クグイは絵を描かずにはいられない
- イナホ曰く「相手を深く理解するには勝負が必要」ださ
妖怪の成立、やっぱり人の畏怖が原動力か!“あやふや”と言うからにはそれだけが存在の基底じゃないにしろ、そこが大事なんだなあ。クズノハ様もイナホも「人と絶縁/融和」とそれぞれ真逆で致命的なことを言っているのは親子ゆえか。日本の近代化に伴う神秘の遺失が思い出される。
それにしても「思念で維持される存在」が明示されたなあ、これで私の廃龍学に裏取りが付いたか。助かる助かる。
東西絵心合戦・開幕
- イナホ曰く「戦ったら友達」「共に同じ夢を見よう」
- 画狂老人は絵で競い合うことをリョウキとクグイに提案する
- クグイはリョウキの絵が懐かしい
クグイが知らないはずのリョウキの絵を知っている、というのはかなり様々な考察の余地がある所だ。伏線として既にある「クグイが忘れていること」とも響き合う概念で、これをどう解釈するか?という所が前後編式イベントで一番美味しいところかも知れない。皆さんはどう読んでいましたか?
3.二日目のこと
- リョウキは東国出身である
- リョウキは成り行きで絵を描き始めた
- リョウキは3ヶ月で目覚ましい上達を見せた
- リョウキの絵は伸び伸びとしていて、クグイの憧れとなっている
リョウキはクグイに憧れ、クグイはリョウキを眩しく思う。いやあ良い関係だ。
何だか人間らしいリョウキの歩みが描かれているが、どう解釈したものか。普通すぎるくらいに普通だ。
4.三日目のこと
- クグイはリョウキに怖がられることを恐れている
- リョウキはクグイの本気の絵を見たいと思っている
- リョウキは子供の頃から空想するのが得意だった
- クグイはリョウキの絵を知っていた
クグイとリョウキのすれ違い。リョウキはその中でも「クグイが絵を描きたがっている」と執拗に主張している。どこに根拠を持っているのか。勘なのだろうか。
三日目・幕間
- リョウキが描いた竜は、クグイの力の根源に近い式神である
- クグイは自分は絵を愛せない、絵を描くと人が不幸になると言う。
〜ここまでの考察〜
上記までに解決されてない、解決したいと思う点を挙げる。
- クグイは式神を上手く扱えない=恐れが先行している
- リョウキの絵をクグイが既に知っていた
- リョウキがクグイに絵を描いて欲しい=恐れを克服して欲しいと願っている
大きく分ければ以上の3点だろう。これらに整合性を見出すのが先述の考察だ。すなわちリョウキがクグイの式神なら「上手く扱えないのは式が自立しているから」で「自分の式の絵だから術師は認識していて当然」だし、リョウキの絵を描く=自分の恐怖心を克服することで「式である自分を使いこなして欲しい」からリョウキは絵を描いて欲しいのだ。
東国出身で〜というのはカバーストーリーか、或いは本当にそう思い込んでいるだけではないかと推察している。行きずりの間柄でここまでの執着は持たないだろう。よほど根っこのところで二人が響き合っていると解釈すべきだし、であるならば彼女と向き合って自分のものとして受け止める、というのがオチにあると考えるのが妥当だと読んでいる。
二人は対照的でありながら「絵描き」という一点で、そして多分深いところで繋がっているのだろう。式神が術師を助けるという倒錯、という意表を突く話に違いないというのが私の主意だだから百合は地球を救うわけである(錯乱)
〜ここから解決編〜
大体この画像に尽きる。見ていこう。
四日目のこと
- リョウキはクグイが絵を描きたがってると主張している
- クグイの故郷で竜の正体を知る必要がある
- 「クグイちゃん……。でぇと、しよう。」
- 「人を傷つけてまで絵を描くべきか」という問いに、リョウキは「そうだ」と断言する
- リョウキはクグイに「行かなくちゃいけない場所がある」と言う
凄まじい勢いで百合の花が咲いてて気が狂うかと思った。自分の意見を忌憚なくぶつけ合ったりすれ違ったりすると、そこは花園になるんですねえ!通りでねえ!(幻覚)
絵を描くことを「罪」と言い切るクグイ、痛切だなあ。その気持ちの根幹が他人を思いやる気持ちから来ているからより悲痛というか、 言葉を選ばなければタチが悪いというか。
ちなみにこの辺りまで私は「考察当たったのでは!?」とワクワクしていました。ハハハ
五日目のこと
- リョウキは「クグイの苦しみの半分を背負いたい」「クグイのことをよく知りたい」と言う
- クグイは「人を傷つける力だ」と言い、リョウキは「夢を叶える力だ」と言う
- リョウキは「いらないならその力を貰いたい」「貴方の絵は私の目指す道だ」「クグイは私の理想そのものだ」と言う
- クグイは「この絵は自分の研鑽の証で自分そのものだ」
- 絵は空想を現実にできる
ぶつけ合ってますねえ!!!感情を!!!!!(関係性のもつれから出る出汁の濃い部分を啜る音)
お互いがお互いを昔から知っていたような気がする、という文脈は前世モノや幼馴染モノなどでよく用いられる王道文脈なので非常に美味しい。その上でリョウキがクグイを焚きつける口実に昇華させる手付きは流石の一言。自分をぶつける事は大事だなあ。
要はクグイは自分の絵を「人を傷つけるから」と他者を守るという理由を得てしまい、実際は自罰性からの自傷行為に陥っている。それを解消するのは「傷つけない」という結果より先に「傷つけても構わない」という自己肯定の動機だった、という所だろうか。
自己発露の手段であった絵描き行為を極端に嫌い自分をぶつけることが出来なくなったクグイに一見乱暴にぶつかっていくリョウキ、そうすることでしかクグイを動かす事は出来ず、結果として彼女は自己を肯定し動き出すことができた。
…何だかミズチのキャラエピとどこか軌を一にする論理だし、スイゼン首領の胃がマッハだ。お前のところの人材はコンプレックス爆発奴しかおらんのか?(辛辣)
両者で見られる「相手の背景理解、自己同一化と共感、オーダーメイドな解決策の提案、予後の観察」という流れは現代的な心理療法に似ていて良いなあ。自己の成功体験や経験則に頼らない相手ありきの対応は見ていて参考になる部分が多い。スイゼンくんやるねえ!(賞賛)
夢、星や光に紛れてるけど最近気になってるワードだ。唯一出ているのが“夢見のカケラ”と言う単語。フレーバーならそれまでだけど、夢という言葉が作品全体に丁寧に散りばめられている気がする。またストーリー読もう。
六日目のこと
- クグイは「逃げないために力を使いこなす」ことを決意する
- 竜はクグイの恐怖そのものだ
- 竜はクグイが向き合い主人だと認めさせる必要がある
- 竜は世界の全てを恐れ自己防衛をしようとするクグイの幼さの現れ
竜は鏡像、もう一つの自分、「吾は汝汝は吾」、彼は受け入れるべき存在…、原義も含めて綺麗にペルソナだあ。竜が唱える「世界を全てを壊す」果てには何者にも干渉しなくて良い、誰も傷つけない世界が待ってるのだろうか。それは甘美な誘いだが、それに対して「私は世界の美しさを知った」「支えてくれる人ができた」「絵を描く理由が出来たのだ」と返すクグイには立派の一言。自立を果たした一人の人間のセリフだ。
「リョウキがいなかったら永遠に中途半端だった」というクグイのこのセリフが五臓六腑に染み渡るなあ。中途半端とはつまり決断が出来ないということ。描きたいが傷つけたくない、描きたくないが描いてしまう、このこころのジレンマに陥っていたことがよくわかる。それこそ夏目漱石の「こころ」に描かれたようなどうしようもなさだ。人に開示することで解決が得られる、という点でも共通するか。
TLを見ていると絵描きの方でこのクグイーリョウキのセリフが刺さってる方が多くいらっしゃった印象だ。特に「絵描きは絵を描かないと生きていけない生き物」「逃げたくて逃げられるものではない」という辺りは宿命的な、もっというと呪いのような何かを感じざるを得ない。何者かになろうと足掻かざるを得ないのは幸福と絶望のブレードランナーに違いない。私も物書きの端くれなので理解できる感情だ。生きねばなあ。
東西絵絵心合戦・決戦
- クグイとリョウキは幼い頃に会ったことがある。リョウキが想像を語り、手渡された木の棒でクグイが絵を描き始めた
- 上はクグイが忘れていた記憶=原体験だった
- クグイは前鬼を、リョウキは後鬼を描いた
- クグイは「貴方の絵が好きだ」とリョウキに伝える
ぐわああああああ!昔会ってたのね!その筋ね!深読みしすぎたなあ!
「貴方の絵が好きだ」発言、これは相手への承認に加えて、リョウキを対立して競い合う相手ではなく「寄り添い互いに高め合う」と認める意味がこもってると私は感じた。まあ告白ですよね。大衆の前で事もなげに言ってのけるとはクグイも肝が座ったなあ。
そして一週間が過ぎて
- はー一面の百合の花(紅葉)
「クグイのように鍛えたい」とリョウキが言えば「守れなくなるのはちょっと寂しい」とクグイが応え、「でも逃れる程度には力をつけて」とクグイがこぼせば「自分を置いて逃げろとか言わないでよね」とリョウキが釘を刺す。お互いに本音をぶつけ合い、それで心地よい関係が築けている。素晴らしいなあ。最後に寄り添いながら紅葉降る山を登る姿、上にカメラが移動して晴れた空、タイトルロゴ。もう演出全てが素晴らしい。
私の考察通りリョウキが式神だったとしたら本質的に主従関係が構成されてしまうから、きっとこの光景までは描かれなかったと感じる。うーんストーリーテリングというものは奥が深いなあ。
終わりに
今回のイベントも最高だった。特に前後編組みになっているから先を考えるのが楽しくて仕方がない。どなたかが言っていたが本編のアフターストーリーとして成立しているのもありがたい。彼らが生き続けている様子を拝めるのは一消費者としてありがたい限りだ。
ワの国に関して考察したい事は他にもある。ワの国のワは何なのかとか、鬼は竜と近い概念なのかとか。Discordで話題に上がった陰陽五行説と6元素概念の整合性を考えても良いし、殆ど語られなかった幕府とかいう存在について予想を立ててみても良い。
しかし取り敢えずここまでにしたい。余韻に浸りつつ次のイベントや一周年記念を待ちわびたい。サンキューシテイル、フォーエバーワーフリ。また良いイベントをよろしく頼む。
終わり。
追記 メカ!!!!!メカイベント!!!!!!!わしゃメカ沼の住人なんだ死ぬまでオイル啜ってやるからな???????る?????????????? https://worldflipper.jp/sp/news/detail.php?announce_id=530