甘口ピーナッツ

多めの写真やTwitterに書ききれないことを書く

会わなくなったあいつの話

今週のお題「卒業」

お題機能を活かして、胸につかえていた思い出話をする。高校卒業を期に友人と疎遠になったという、ありふれた話だ。

 

あいつ

あいつは、一言で言えば変なやつだった。痩せぎすな身体にまんまるな顔。くるくるの茶髪は地毛だと言う。いつも笑顔を絶やさず、かと言って人々の中心にいるわけでもなく、不思議な雰囲気を湛えているやつだった。

 

高校に入って彼を認識して、何故だか私は、彼に惹かれていた。人に馴染めない者同士のシンパシーなのか何なのか、そもそも彼が私をどう思っていたかはついぞ確かめられず仕舞いだが、私は彼を無二の親友だと思っているのだ。

 

 

きっかけ

きっかけは、よく覚えていない。あいつはゲームが好きで、私もゲームが好きだった。ただそれだけだ。どちらが話しかけたのかも定かではないが、彼と一緒だと私が喋ることが多かったから、きっと私からだろう。

 

中学校の頃、周りでゲームを嗜む人は少なかった。居ても携帯ゲームで協力プレイ前提のアクションゲームを愛好する人が多く、据え置きで一人コツコツ遊ぶゲームの話題を共有出来る人はいなかった。寂しさがあった。

 

高校に入って暫くして、彼と出会った。前述の通りきっかけは覚えていないが、そのゲームの話題になったのだ。片方がソフトのタイトルを出すと、あああれねともう片方が言う。不思議に思って問号を言えば、答号が返ってくる。そのうち感動が走り出す。

 

 

「おまえ、なんでそれ知ってんだよお!?」

 

「そっちこそ、あれ遊んだことあるの!?」

 

 

あの瞬間のことは今でも覚えている。あいつのキラキラした瞳と微笑み。おれがあいつを見ると、あいつがおれを見る。無敵な、全能感を感じる時間。阿吽の呼吸と言っても良いくらい、我々は思考が一致していた。互いが必要としていたところに相手がピタリと嵌ったことを、肌で感じたのだ。

 

重ねて言うが、彼がどう思っていたかは定かではない。だがあの時の最高の感覚、自分を受け止めてくれる得難い友を目の前にした感動は、どうにも自分だけのものとは思えないのだ。

 

 

それから

それからは、よく覚えている。休み時間のたびに我々は教室の隅にたまり、ゲームの話をした。私は高難度を謳うロボットゲームの話を、彼はアメリカで人気のガンシューティングゲームの話をした。

 

ロボットゲームは、私も彼も好きな作品だった。ハードな世界観に鬼畜な難易度、吸い込まれるようなカスタム性。時折攻略本を持ち寄っては、ああだこうだと世界観を膨らませていた。幸福な時間だった。当時の勉強ノートには攻略本の設定画の模写が所狭しと並んでいる。

 

ガンシューティングは、彼の得意分野だった。私は疎かったが、彼が語る特殊部隊やマフィアや宇宙人の抗争への熱意にいつしか引き込まれていった。未知のことを知る楽しさを、私はこの時に学んだ。

 

彼は他にも、多くのことを私に語った。世界には多くのゲームがあること、新しい据え置きゲーム機が最高なこと、ロボゲーばっかの会社がハードファンタジーなゲームを出すこと。本当に多くのことを教えてもらった。私は彼に何かを返せていただろうか。そこが今でも心配だ。

 

 

彼の家

彼の家に、遊びに行ったことがある。家から電車で1時間弱、そこからバスで郊外の住宅地まで行くのだ。携帯もないご時世にこれは中々の旅行で、不安になりながら通ったものだ。道順は、今でも覚えている。

 

頭にバルブが生えたオッサンがロゴのゲーム会社が、新しい据え置き機でヤバいゲームを出すらしい、という情報を彼がキャッチした。ダツラ、ダツラと一週間くらいその話をしっぱなしなので、私も興味が出てしまった。なら一緒にやろう、という話になったのだ。

 

彼の家は、十字路の角にあった。斜向かいに彼の名字を冠したガラス屋があり、どうやら彼の家の家業らしい。我が家はただのサラリーマン家庭だったので、そこでも彼に不思議な感覚を覚えた。

 

彼の部屋は二階にあり、それなりの狭さに彼らしい生活感が散らばっていた。おもちゃの空き箱、小さなゲームモニター、迷彩柄のショルダーバッグに、家の払い下げらしいこたつ。あまり記憶に留めていないが、彼の生活を感じたのだ。

 

ヤバいゲームは、本当にヤバかった。明るい悪夢のような世界観に全く掴めない操作感。お互い画面を見つめ合いながら、ヤイヤイと主人公を前に進めることに必死になった。ひと段落する頃にはお互いヘトヘトになっていた。

 

こたつで少し休んだ後、我々は彼が得意とするシューティングゲームを遊ぶことにした。画面分割プレイである。私はまるきりの初心者だったが、彼の手ほどきもあって段々と上達していった。彼と同じ方向を向ける時間が、たまらなく嬉しかった。

 

それからは、月に一度ほどのペースで彼の家に行ってはシューティングゲームを遊ぶ、という習慣がついた。彼と協力して一緒に何かをするのが、この上なく楽しかったのだ。二人で敵を追い詰めて勝利したことも一度や二度ではない。あっち!こっち!だけで通じていたようにも思う。本当に不思議なやつだった。

 

 

別れ

別れは、よく覚えていない。だが、思い当たる節は幾つかある。学年を追うにつれ、文化祭や受験やでお互い忙しくなったのだ。私は文系に、彼は理系に歩を進めてもいた。時間的、物理的距離というものは残酷なものだ。仕方ないことだ、と学生の頃は思っていた。

 

しかし最近、根本の原因は、私の愚鈍さから来るのではないか。そう思うようになった。

 

思えば彼についての噂もあまり良いものではなかった。人伝にだが、成績不振であった、と聞いたことがあった。けして悪い人間ではなくとも、数字はたやすく人を追い詰める。苦しいものだ。教員になった今、それをまざまざと感じる。

 

こんなことがあった。クラス替えの時に、文系クラスであるのに何故か彼の姿がそこにあった。私は純粋にも再会を喜び、離別の溝を埋めようと語りかけた。彼もそれに応じていたように思う。また楽しい時間が帰ってきた、そう思ったのだ。

 

卒業してから、私は「文転」という言葉と意味を知った。

 

無知であることのなんと愚かなことか。彼の心中はいかばかりだっただろう。人の心を容易に察せない自分の脳を、周りの物事にとことん疎い愚かな自分を、悔やんでも悔やみきれない。彼にはきっと残酷なことをしてしまったに違いない。悔やんでも悔やみきれない。

 

進路の話になった時、私は彼に、国立の地方大学に行くつもりだ、成績も何とかなりそうだと語った。彼は私に、いやいやおれは何処に行けるかなあとはぐらかすばかりであった。進学先は、今でも知らない。

 

図書館で勉強していた時、私が解き終えた解答用紙に片手間に描いたロボットの絵を眺めて、すごいなあ、おまえはすごいよと何度か彼が独りごちたことがあった。そのことが私には単純な賛辞と思えず、柔らかな棘として心に刺さった。何故それを棘として感じたのか、今ならわかる気がする。

 

彼には本当に、残酷な、悪いことをした。思い出すにつれ、心が苦しい。何ということをしてしまったのか。取り返しがつかないことをした。取り越し苦労ならどんなに良いか、しかしどうしてもそう思えない。一体何が起きたのか。わからない。

 

卒業の時にも、二言三言交わしただけだったように思う。またその内会えるだろう、などと甘く考えていた。その後会うことはない。辛うじて携帯の番号は控えてあったが、数年前にかけたら不通であった。同郷の友人に尋ねても、彼の行方はだれも知らない。

 

あいつの話は以上である。

 

 

卒業

卒業、それは別れを意味する言葉だ。意識的か、それとも不如意にか、人は何かから卒業する。しかしその中には、してはいけなかったと後から悔やまれる卒業もあるだろう。

 

どうか、これを読む人には幸福な選択をしてほしい。すなわち、何かに流され楽観視して得難い物を永遠に失うことなく、自分が笑顔となれるような〝卒業〟を掴んで欲しい。自分を埋めてくれていた相手を一度失うと、その穴は何物にも替え難かったりするのだ。

 

そして望むらくは、あいつがこれを見てくれて、おれに連絡してくれることを夢想する。あり得ない話だとはわかっているが、今でもあいつの瞳と熱意が忘れられない。またいつか、あいつに会いたい。

 

柿沼よ、おれは清水だ。卒業してからもう何年も経つが、どこかで会わないか。おまえに話したいことと、伝えたいことと、謝りたいことが山ほどあるんだ。連絡を待つ。