甘口ピーナッツ

多めの写真やTwitterに書ききれないことを書く

父の話

父が死んだ。71歳であった。明日の言伝を母にしたまま、遺言やそういうこともなく、大して苦しまずに逝った。週明けには火葬される。私は彼に関する記憶を忘れないために、そして今の気持ちを整理するために、ここに書き残すことにした。どうにも次の人生への踏ん切りがつかないのである。誰に読んでもらうでもない、私が書きたいから書くものである。だが同時に読みやすいようにもするので、もしよければ父のことを知って欲しい。すぐに終わる。

 

姿かたち

枯れた松のような、古びた岩のような、ひょろっと長くみえる背丈と静かな瞳を持つ男だった。母曰く「昔は男前だった」とのこと。笑うと目尻がクシャっとなるところは私にも受け継がれている。栄養バランスに凝った飯を食べ、バラやゼラニウムやスズムシを育て、毎日のストレッチを忘れない。そんな人であった。暇さえあればクラシックを流しており、実家のオーディオはそれなりの物が揃っている。

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気難しい人

父の性格は、一言で言えば〝気難しい〟だろう。寡黙で几帳面、理性的で自分のことは自分でやりたがるが、自分の領分でないと考えた物事は決してやらない、あえてよくある表現に換言するなら「亭主関白」である。昭和の男であった。

 

一方で、家庭的な面もあった。裁縫などは得意とする分野であったし、野菜炒めなどを息子たる私のために作るのを好んでいた。特筆すべきは時間のかかる料理を作ることに執心しており、私が帰省するたびに熟成されたチャーシューやカレーを食べさせられては感想を求められたものだ。まことに美味だったので何も文句はなかったが。

 

よくある話だが、子の喜びは親の喜びなのである。父に於いては、特に食に関する点でこの側面が強い。何故なら彼は、私を通してでしか、自分が調理したものの是非を判断できないからである。

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舌のない半生

20年ほど前、50過ぎの彼はガンに罹った。舌ガンであった。一度の手術で病巣を採り切れず、数度の手術を経た男の口からは、器官としての舌が失われた。喉には手術痕が残っている。

 

舌がない、となった時の障害は何か。父を見るに、それは〝発話〟と〝食事〟である。舌を使った破裂音が出せないため五十音表の幾つかの行を発音出来ず、噛んだものを攪拌嚥下出来ないため食事は必然的に重力のみで食堂に入る流動食となる。それまでの人生とは一線を画する状態となったことは、想像に難くないだろう。彼の言葉を正確に翻訳出来るのは家族だけであった。

 

ガンに罹る前の父はさる化学メーカーの総務部として良く働いていたそうだが、舌を切ってからは資材管理部というところに部署を移っている。父はその部署でどのような仕事をしていたか特に語らなかったが、その真意は推して知るべしである。後に母からは「俺はもう、電話を取ることも出来ないのだ」と嘆いたと聞く。会社を責める気は無い、むしろ放り出さずに居場所を用意したのだから当時にしては可能な限りの良い対応だろう。急な部署替えで友人を随分減らしたようだが、ともかく彼は定年までそこで働ききった。誇らしいことである。

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手を撫でた話

私はどうやら、父の手が好きらしい。そう考え出したのは一人暮らしを始めて父を外から眺めるようになってからだ。ゴツゴツと節張った手、仕事に打ち込んだ手、ベランダをミニ菜園に変えてみせた手。撫でられた記憶はないけれど、触れるのは好きだった。自分の手と見比べたことがある。小指の形がとてもよく似ていて、おお、この男と私は確かに血縁にあるのだと妙に合点がいった記憶がある。

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喧嘩

父とは時折喧嘩をした。お互い手は出ず、専ら怒鳴り合いの口論であった。原因はもう覚えてはいないが、理詰めが好きな父に対して私が感情的になったか、あるいはその逆か。しかし互いに妥協点を探り合うのを止めない性分からか、怒鳴りあいながらも何か良い形で合意し、プツッとすっきりした顔で日常に戻ることが常であった。不思議なものである。

 

心残りがあるなら、彼の在り方に配慮することも忘れて感情に任せ、身体的な面での罵倒をしてしまったことがあることだ。あの時の父の反応をもう私は覚えていないが、思い出そうとするたびに最悪の感覚だけが鉛のように私の腑を握りしめる。父はまだ覚えているのだろうか。本当に申し訳ないことをした。

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ないはずの呼吸

これは父が死んで直後の話である。現実寄りのつもりだが妙な話でもある。もし難なら読み飛ばすことを勧める。

 

機械が外され、看護師も他の家族も他の場所に移り、私と父の二人だけになった時がある。ベッドの傍らにある椅子に座りながら父を眺める。本当に眠っているような顔で父はそこにいた。今にも目覚めそうな、しかしどこか血色の悪い顔を、私はじっと見つめていた。その時である。

 

父の胸が動いているように見えたのだ。寝ている人が呼吸をする時に自然となるように。

 

現代科学を信奉する私には信じ難い出来事であったので10秒ほど見つめてみたが、どうにも動いているように見える。触れてもみたがどうにも判然としない。ほんの少し温かいだけである。結局何も分からぬまま、父の身体は医者の手に渡った。

 

あれはいったい何だったのか。当然人の胸はこう動くべきという経験則から来た錯覚なのか、生きていて欲しいと願う私の深層心理が見せた幻覚なのか、もしや本当に動いていたのか。よく劇作などで人死が出た時に、遺骸にすがりながら「この人はまだ死んでいませんっ」と合弁する人が時折描かれるが、あの人々の心地が少しわかった気がする。理由はどうあれ、私はあの時少し狂ったのだと思う。人の死、近しい人の別離とは誰かをそうさせる何かがあるのだと思う。

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区切り

とりあえず、今の私が書きたいことは以上である。何か残さねばならないことが思い出されたら追記したい。私は彼の人生の半分も生きていない。長い人生である。いつか胸を張って話せるように、善い人生を送ろうと思う。どこかで、また。

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